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紺碧の将

うたごえ喫茶『ともしび』の灯は消えず

2022.05.16

 1960年代から70年にかけて、東京新宿を中心に「うたごえ喫茶」が賑やかであったのをご存じの方は今や人生の達人の域にある。うたごえ喫茶とは、お客さんがリクエストした歌をピアノやアコーディオンの伴奏に合わせ、店内全員でステージのリーダーに合わせて合唱する喫茶店のことである。入場料はいかほどであったか、コーヒー一杯の料金で済んだのか覚えてはいないのだが、二十歳前後という私の青春時代の真ん中に確実にこの場所はあった。

 中でもうたごえ喫茶『ともしび』は草分け的存在であり、老若男女心を合わせて歌いきる清々しさは例えようもないものであった。今思い出すと少し気恥ずかしく、昭和のレトロ感を彷彿とさせるのだが、みんなの気持ちと歌詞とメロディーが一体となって波打っていた。今でも時々口ずさむのはこのころ覚えた歌であったりする。

 そして、ここへきてしみじみと回想にふけっているのには訳がある。今年になって嵐の襲来のごとく吹き荒れているロシア・ウクライナ戦争に端を発しているからだと思う。当時のうたごえ喫茶いち押しの曲目は何といっても「ロシア民謡」であった。他に日本、西洋のものは沢山あったはずなのに、ロシアという遠く寒い国の哀歓を帯びた重厚なメロディーは、若者の胸を打つに十分であった。

 「カチューシャ」「トロイカ」「黒い瞳」「ともしび」……、まだまだ沢山歌える。「一週間」などというちょっとふざけた歌詞とメロディーもあって、これがまたとても世の中に受け入れられたのである。当時人気のあった「ダークダックス」や「ボニージャックス」などのカルテットが一層後押しをしていた。

 この頃は、私の感覚としては少し不思議な時代だったような気がする。<60年安保闘争><70年安保>が空前の盛り上がりを見せ、倒閣運動も相次ぎ、あちこちでデモ騒ぎがあった。ある大学の新聞部にいた私もしょっちゅうデモ行進に参加して、休日は横田基地や立川基地へ行って訳も分らず「ヤンキーズ ゴーホーム!」とシュプレヒコールのジグザグ行進だ。部の先輩たちは真っ当な理由があったのだろうが、私にはこの行為がただただ恥ずかしかった。次年度は部長だと言われて、恐ろしくなって新聞部を辞めてしまった。

 もう一つ覚えた歌がある。「インターナショナル」。それは労働歌であったが、革命歌としてでも世界各国に広まり、今や国際歌ともいえる。何故当時そのような歌詞と符が一喫茶で謳われていたのか不思議ではあったのだが、そんな思惑を通り越して大きな声で合唱することに夢中であった。

 「起て 飢えたるものよ 今ぞ日は近し、覚めよ 我が同盟から 暁はきぬ…♪」何か胸すく思いがあった。

 シベリア抑留から帰還した人々のニュース、国後・択捉問題、日米安全保障条約に対する激しい非難、ソビエト連邦との確執など、世情は複雑に絡み合っていたのに私や周りは案外のんきであった。多分、復興しようとしている日本のエネルギーに心を奪われていたのだ。現実に問題を抱えながらも、抵抗の声は小さくなり経済振興の波にかき消されてしまう。リッチな国日本へまっしぐらである。

 「黒い瞳の若者が 私の心を虜にした…♪」

 「…走れトロイカ 今宵は楽しい宴♪」

 「夜霧の彼方に別れを告げ、雄々しきますらお出でて行く…♪」

 

 こんなに素敵で情感あふれる歌がロシアにいっぱいあるのに……。ロシアの人よ、声を合わせて祖国の民謡を合唱されんことを。

 

ps.うたごえ喫茶『ともしび』は今も健在で営業中。創業から65年。ともしびを絶やさず世代を超えた交流を願っているそうです。

 

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