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紺碧の将

「アグリカルチャー」は地球を救う③ ー衣食足りて礼節を知るー

2023.04.17

 四月も半ばというこの季節は、穏やかで爽やか、そしてとても美しい。
 今日は日曜日、雨上がりの朝7時の散歩は私にはとても贅沢に思える。桜が散り、ハナミズキ、モクレン、藤が「私の季節よ」と言わんばかりに晴れやかな姿を澄んだ空に映している。
 散歩道である線路際の長い土手にも植物たちの賑やかな交代が続いている。土筆が顔を覗かせるのはほんの短い間ですぐに杉菜の出番となる。今はタンポポの黄色が辺りを席巻している。そのほか入れ替わり立ち代わり、名前は分からないけれどいろいろな草花がまわりを埋め尽くしてる。見上げて愛でる木々よりもよっぽど地面に近い方がその変化はめまぐるしい。それぞれ短い生を、時と領分ををわきまえてそこに存在している。来年もまた同じように姿を見せてくれるであろう。そう、土と水と光がある限りこの植物たちはこの季節に顔を出すことに何のためらいもないようだ。
 私たち人間も世代交代はするけれど、一世代は何十年も続き「人生は短い」と儚さを覚えながら少しづつ衰えていく運命にある。それだからこそ「今日を大切に生きよう」とか「健康で長生きしましょう」という永遠の命題は私たちの共有するところである。
 こんなシンプルなことを何故人間は複雑に考えてしまっているのであろう。怒り、悲しみ、妬み、競争心は何処からどうして生まれるのであろうか。
 世界の情勢を見てとても不思議に思うことの一つは「難民問題」である。為政者の暴挙により、あるいは天災、干ばつの絶え間ない被害で住む土地を捨て、逃れ、難民となって他国に流れ込む人々のなんと気の毒なことか、と心塞がれる思いに苛まれる。住み慣れた土地を離れることは、自分の体の一部をもぎ取られるに等しい。誰が他国に入り込み、その国の人たちとの軋轢の中で安穏とした日々を過ごすことができようか。私たちが日本に住めなくなり、海を渡り韓国や中国に安住を求められるだろうか。
 難民を受け入れるだけでは本当の解決は生まれない。生まれ故郷が豊かに復活しない限り人々の真の安らぎはないのである。
 いつも切なく思い出すのは、アフガニスタンで2019年復興支援中に凶弾に倒れた中村哲医師(当時73歳)のことである。医師として働いていた中村さんであったが、劣悪な環境での治療は追いつかず、特に子供たちが感染症で次々亡くなっていく様子に、医療行為の限界を感じられたようだ。
 「きれいな水が必要だ」この思いで井戸を掘り、川筋を作り、住民の力を頼んで穀物を作り、緑を増やしていく……、この行為こそ確かな復興支援ではないかと思うのである。依存ではなく自立のための支援、これは少しでもゆとりのある国は力を貸す義務がある。国連はその道筋を立てるべきである。
 「アグリカルチュア—」(agriculture)は「農業」そのものを表すこともあるが「農学」つまり農業の発達や改良について研究する学問でもある。私はこの言葉が好きだ。耕す人と研究をする人がタッグを組めば生きもの全ての生存の基本は守られる。言葉にして言えばただそれだけのシンプルなことなのだ。
 若くもなく机上の空論にしかならない私の弁ではあるが、人間は心弱い生きものであるから言いたいのである。食が満たされてこそ周りにも目を配ることが出来る。
 「衣食足りて礼節を知る」は私たちが人間として生きる基本を表している。「どうぞ人間らしい行為を忘れてしまうくらいに私を貶めないでください」。と私は祈るばかりである。

 

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