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紺碧の将

間合いを考える

2023.08.01

 せっかちな人というのは、得てして周りの様子が見えていないのでは、と思うことがある。あるいは合理的に物事を考える人は、先ず結論ありきというものの進め方をするので、もたもたしているこちらはついて行くのが大変である。いろいろなことがサクサクと決まる様子に、人生を3倍有効活用しているなぁとこちらは感心することしきりである。

 せっかちとのんびりが一緒に暮らしたらどういうことになるのか……、ここはせっかちさんの方に分があり、のんびり屋さんはついて行く積りなら何らかの対策を練らねばならないだろう。

 例えば我が家の一つの風景であるが……。夫が帰宅して「ただ今」と言っている。すかさず私は玄関に躍り出て「親分、ていへん(大変)だ!」と叫ぶ。これが「お帰りなさい」のようなもの。そして夫は「おう、どうした、どうした」と言うことになっている。

 このセリフ、言わずと知れた昔大ヒットしたテレビドラマ『銭形平次捕物控』の冒頭のシーンをお借りした。毎回ガラッパチの八五郎が十手片手に裏木戸から「親分ていへんだぁー」と駆け込んでくる。そこは庭伝いになっていて、広い縁側があって平次親分が植木をいじったり、ツメを切ったり、お茶を頂いたりしている。八五郎のお決まりのセリフに平次親分もいつもの如くという感じで「おうハチ、どうした、どうした」と言うこれもお約束のセリフで幕が開く。

 このシーンが私の中で定着しているのは、60年代から80年代までを駆け抜けた長寿番組であったからでもあろう。未だにテレビドラマ史上最高のロングランを堅持している。平次親分役を演じた歴代の俳優は水もしたたるいい男で、せっかちな子分の八五郎をおっとりと受け止めながら、仕事ぶりは痛快、見事に事件を解決するのである。

 我が家の夫は家に帰るなり靴を脱ぐ前に「今日はね……」と言って一日の出来事を話そうとする。私はこのせっかちさが我慢できず、かといってその癖はなかなか直らない。そこで一計を思いつき、「親分、ていへんだ!」と私が先手を打つことを思いついた。勿論毎日大変なことが起きるわけではないが、そこは夫も心得たもので「おう、どうした、どうした」と相槌を打って、先ずは私のどうでもいい話に耳を傾けてくれるようになった。そして夕食を頂きながら、夫のおしゃべりに花が咲く。

 このちょっとした間合いは私にはとても大切。当時私は3人の小学生の息子たちと格闘の日々だったから、間合いと言うか息継ぎの仕方も不慣れであった。

 夏休みのある日、末っ子のシンゴ君が「お母さん、大変、大変!」と言って玄関に駆けこんで来た。そして続けて言うのである。「今までで一番大変なことが起ったの」と。私は聞き耳をたてる。「ケンちゃんがね……」それを聞いた途端私は脱兎のごとく外へ駆け出した。田んぼの側溝に落ちて強打したのか膝の辺りから血がふきだし、お兄ちゃんのケンが泣き叫んでいる。確かにシンゴが生きてきた短い人生の中では最も強烈な印象であり出来事だったに違いない。

 今までで一番大変なことが起った、と言うフレーズを、私は今も鮮やかに思い出す。これほど見事な間の取り方ってあるだろうか。この子はどんな素敵な表現者になるだろうかと思った。誰もが心の中で願える親ばかの特権である。

 

 

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