賢いリーダーが率いる賢い会社とは

本コラムでビジネス書の類を取り上げるのは稀だ。これまでのアーカイブを見ても、渋沢栄一『経営論語』、イヴォン・シュイナード『レスポンシブル・カンパニー』、そして『松下政経塾塾長講話録』くらいであろうか。そもそも『経営論語』も『松下政経塾塾長講話録』も厳密にいえばビジネス書とは言えない。思想・哲学の範疇だろう。『レスポンシブル・カンパニー』もビジネス書というよりイヴォンの類まれな人生観の集大成に他ならない。
私もそれなりにビジネス関係の本を読んできた。とりわけビジネスの世界で功なり名を遂げた人物伝は嫌いではない。しかし、本コラムであまり取り上げていないのには理由がある。ビジネス(広く経済ととらえてもいい)の世界は変化が激しく、数年で陳腐化することが稀ではないからだ。あるとき時代の寵児ともてはやされた人が、数年で時代遅れになっていることが多々ある。なるべく時代に左右されない、本質的な書物を取り上げたいと思っている本コラムの趣旨に照らし合わせると、どうしてもビジネス書は忌避したくなるのだ。
……と、前置きはこれくらいにして、今回は『ワイズカンパニー』を取り上げる。ビジネスの本質がぎっしり詰まっているうえ、個別の事例も豊富に書かれている。二人の著者は実際のビジネスマンではなく経営学者だから、自らの体験を語っているわけではない。あくまでも学者の視点で「知識創造から知識実践への新しいモデル」(これは副題でもある)を探っている。
本書は陽明学にも通じている。学んだだけでは宝の持ち腐れ、知識は使ってこそ価値があるという前提に立っているからだ。知識は活用することによって「知恵」となり、実践することによってフロネシス(実践知)が高まるというもの。最近の拙著『STAND ALONE』で若いリーダーを育成した近藤隆雄氏が重視したことの一つに体験知を豊かにするというものがあったが、それも同じことだ。
考えてみれば、当たり前の話である。ビジネスは実際に行ってこそ結果が出る。どんなに頭のなかでいいアイデアをいじくり回しても、行動に至っていないものは何もないのと同じだ。
本書の著者は、実際の活用例を豊富に示している。たとえば、本田技研工業やファーストリテイリング(ユニクロ)、エーザイ、JAL、トヨタ、シマノ、福島ヤクルト販売、セブン&アイ・ホールディングス、ヤマト運輸などやアップル、ウォルマートなど海外の企業の実例にも言及している。個々のエピソードも簡潔で無駄がない。稲盛和夫氏が托鉢をした経験は、自身の言葉を用いながら巧妙に読者をリードする。少し長いが抜粋しよう(托鉢の直前、稲盛氏は胃がんが見つかり、その治療をしたことで体力を失っていた)。
「初冬の肌寒い時期、丸めた頭に網代笠を被り、紺木綿の衣、素足にわらじという姿で、家々の戸口に立ってお経を上げて、施しを請う。いわゆる托鉢の行は馴れない身にはひどくつらく、わらじからはみ出した足の指がアスファルトですり切れて血がにじみ、その痛みをこらえて半日も歩けば、体は使い古しの雑巾のようにくたびれてしまいます。
それでも先輩の修行僧といっしょに、何時間も托鉢を続けました。夕暮れどきになってようやく、疲れ切った体を引きずり、重い足取りで寺へ戻る途上、とある公園にさしかかったときのことです。公園を清掃していた作業服姿の年配のご婦人が、私たち一行に気づくと、片手に箒を持ったまま小走りに私のところにやってきて、いかにも当然の行為であるかのように、そっと五百円玉を私の頭陀袋に入れてくださったのです。
その瞬間、私はそれまで感じたことのない感動に全身を貫かれ、名状しがたい至福感に満たされました。
それは、その女性がけっして豊かな暮らしをしているようには見えないにもかかわらず、一介の修行僧に五百円を喜捨することに、何のためらいも見せず、またいっぺんの驕りも感じさせなかったからです。その美しい心は、私がそれまでの六五年間で感じたことがないくらい、新鮮で純粋なものでした。私は、その女性の自然な慈悲の行を通じて、たしかに神仏の愛にふれえたと実感できたのです。
おのれのことは脇に置いて、まず他人を思いやる、あたたかな心の発露――あのご婦人の行為はささやかなものではありましたが、それだけに人間の思いと行いのうちの最善のものを示していたように思えます。その自然な徳行が、私に『利他の心』の真髄を教えてくれたのです」
上のようなエピソードを用いることなく、利他や慈悲の心を理論的に説明しようとしてもかなり難しいだろうが、〝個別の物語〟は時と場合によってとてつもない説得力を持つのである。
本書が無味乾燥なビジネス書ではなく、行間に温かみを感じさせるのは、ひとえに著者が物語の力を信じているからでもある。それゆえワイズリーダー(賢いリーダー)になるために、小説をたくさん読むべきだと強く推奨している。そして、「共感を実践させてくれるのは文学だけだ」(モーソンとシャピロの言)、「繰り返し他者の経験を追体験し、それを習慣化することで、共感の能力は磨かれる。小説から得られる一番大切な倫理的な教えはそこにある。重要なのは、事実を知ることではなく、小説を読むことを通じて、共感の能力や習慣を身につけることである」「他者の立場で感じたり、考えたりすることが習慣づくと、世の中のことを別の文化や時代、階級、ジェンダー、宗教、性、道徳観など、あらゆる自分とは違う視点から眺められるようになる」などと書いている。
本書が刊行されたのは、コロナ禍真っ最中の2020年9月。それから数年経っているが、ほとんど陳腐化していない。哲学書とも思想書ともいえるビジネス書である。
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