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紺碧の将

神さまの思し召し

2023.10.31

 私はいま、米国の作家スタンリイ・エリン(1916ー86)の推理小説にはまり込んでいる。というかもう泥沼に両足を突っ込んで二進も三進も動けない状態がここひと月以上も続いている。

 息子に「何か面白い読み物ないかしら」、と尋ねたのがそもそもの運の尽き。大概彼は私の要求するスタイルの本を自分の書棚から探してくれて、私はその都度新鮮な一冊を楽しんでいるのだが、今回は大分度肝を抜かされた。

 未知の作家の扉を開けるのは、ちょっと勇気のいることだけど、そこは息子の選択を信用してのことである。

 

 スタンリイ・エリンは短編小説の名手として知る人ぞ知るの存在らしいが、なるほど、私は息を潜めてその一冊を読み終えた。そして二冊目、三冊目と……。一言で言うなれば、人間の心の奥底にある悪意を非情に抉り出す手法は息を呑むほかは無く、魅惑的であり華麗ですらある。そして人間はユーモアとおバカとずる賢さと……、それもまた人間そのもの、私自身であると納得させられて怖い。

 ところが厄介なことに、この短篇はどれも難解なことといったら一筋縄ではいかない。私の読解力不足は否めないが、もう一度読み直してはたっと気づかされる。三回目だって読み返すことが起きてきて正に私は悪戦苦闘の体である。困ったことに私はこの状況を結構楽しんでいる。

 きっとこれは原文そのものを英語で読むことが出来たら、こんなにも苦しむことはないのではないかと。そして読者の何十倍も翻訳者は一語、一文を生み出すのにあらん限りの語彙を模索しているのではないかと想像する。それだけスタンリイ・エリンの言葉の選択は「それしかない」日本語にこだわらざるを得ない、翻訳者にはてごわい作家に違いない。

 言葉の綾はむづかしい。

 ピーテルブリューゲルが描く<バベルの塔>は、旧約聖書「創世記11章」に登場する巨大な塔である。ノアの時代に大洪水が起こって以降、人類は子孫を増やし、世界中が一つの言語で生活していた。東の方から人々がやってきて、バビロニアに住み始める。彼らはレンガを焼き、「天まで届く塔の町を建て有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」、と。

 神は言われた。「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、何を企てても妨げることは出来ない。彼らの言葉を混乱させお互いの言葉を聞き分けられないようにしてしまおう」。

 ここには人間の愚かさが神の怒りにふれ、言語を分かれさせた、と読める。創世記50章の中の11章中、わずか20行が<バベルの塔>をめぐるエピソードとして突然出現するという誠に不思議というか不可解な箇所なのである。神様の企み? それとも思し召し?

 

 世界中が一触即発の戦争の危機の中にある。首脳が集まり、駆け引きと怒号の嵐が渦巻いている。真実を訴える言葉は通じ合えているのだろうか。私たちは、ノアの時代からちりぢりに散らされ、あちこちで「我が民族が一番強い、そして正義である」、と主張することを譲らない。言葉が一つであれば争いごとは起きなかったであろうか。

 神は人間に優しいかと問えば決してそうではないように思える。隙あらば楽をしたい、とその隙を狙っている私たちに容赦はしない。だから私たちは必死になって考え、へとへとになるまで働くほかはないのである。

 

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