夢見るビーズ
HOME > Chinoma > 夢見るビーズ > 「アグリカルチャー」は地球を救う② ー目覚めよ、私ー

ADVERTISING

紺碧の将

「アグリカルチャー」は地球を救う② ー目覚めよ、私ー

2023.03.07

 2月があっという間に過ぎて、3月だというのに私の冬眠状態はまだ続いている。

 いくら「やる気は寝て待て」が本分であるとはいえ、一行の文章も書けず、ビーズを操る手も思ったようには動いてくれない。日常生活は何とか回しているが、肝心の私の大切な両輪が回転してくれないことには、生きている心地がしない。

 未だ戦火のただ中にあるウクライナの老人の顔が浮かぶ。私くらいのおばあさん達の苦悩に満ちた面容の何と逞しいことか。寒さにもひもじさにも耐えて、戦い抜いてきた魂の歴史は長い。「私はただいま鬱です」と言っている暇もゆとりもないであろう。同じ地球上に住みながらこの格差。私たちは「ああ日本人でよかった」、と胸をなでおろすにはあまりにも見過ごせない現実を見せつけられている。

 どう動こうと私には虚しさが後を引く。祈ることしかできないのなら、今は一日中祈っていようと思った。

 

 今年の初め、久しぶりに我が家にやって来た弟が何気なく私に言ったものである。「姉さん、ここの庭を耕して畑にしたら?野菜がいっぱいできるよ」、と。弟は、野菜作りというか庭の作庭に凝っているようだ。私が近ごろ考えていることと同じ意見が飛び出したので内心驚いた。いざ戦争、震災といった有事に備えて畑、いや土はとっても大切。人類が生き延びるための源がそこに在る。いつかそんな話を我が家の男たちに話したら一笑に付されてしまった。大変な事態になっても、野菜や果物はどこかで調達できると思っているのであろうか。

 

 私が幼い頃、実家の裏庭には野菜が一年中生っていた。20坪くらいの所に耕された畝が整列していて、キューリやナスの他、夏にはスイカや甘ウリががごろんと横たわり、サヤエンドウの垣根があった。サツマイモを収穫して、干し芋作りもした。庭の真ん中に一本の桜の木が植えられていたと記憶している。うららかな季節の頃、その周りに茣蓙を敷いて梅干用の梅を祖母が並べていた。私はそれを裏を返し表を返して、時には味見をしながら日がな一日を過ごしていたものだ。

 ある時すごい地震に見舞われた。頭の中がぐるんぐるんと回り、何事が起きたのか見当もつかない私は、酸っぱい梅干を小さな子供が無断で食べていることに神様はお怒りになられた、と思った。その頃私は教会の幼稚園へ通っていたから。尻もちをついて地面にへばりついたまましばしその恐怖に耐えていた。それ以来、桜の記憶は無いから、地震で折れてしまったのだろうか。

 私が小学校の高学年になった頃は、畑がすっかり様変わりをしてお花畑になっていた。沢山の花が次々と咲いて、週に一度は母が花束にしてくれてそれを学校へ持って行った。私が一番好きな花は「芍薬」、それは今でも変わらない。

 いつ頃からであろうか。庭の様子が少しづつ変化して、何だか大人っぽくなっていく。松と蹲、灯篭のそばにはゆずり葉がそよぎ、うっすらと地面には苔が蒸し始めた。長年かけて父は自分の思いの丈を少しづつ形作っていったのだろう。私の幼い頃は戦後まもなくで、まだまだ貧しかった。めったに思い出すことはないのだけれど、あのトマトが鈴なりだった素朴な庭の光景は、幼い頃の気持ちのまま私の体の中心で揺りかごのように揺れている。

 

 世界の穀倉地帯と言われるウクライナはどうぞ核なんかで汚染されませんように。何が無くても土は私たちの命を育む神からの贈り物だから。

 

 

ADVERTISING

Topics

記事一覧へ
Recommend Contents
このページのトップへ