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私たちについて
紺碧の将

私の切り抜き日記帳

2020.03.05

 新しい職場に変った夫は新幹線通勤となったため、私はにわか運転手として駅への送り迎えをしている。そろそろ一年近くになるのだが、一時間ばかり繰り上がった私たちの朝の生活にも一定のリズムがでてきた。早起きは三文の徳というが、朝の弱い私にしては夫を送った後7時30分ころには新聞を広げ、ブラックコーヒーを頂くという生活は新鮮である。我が家は新聞を三紙取っているのだが、一紙減らしたくても家族三人の意見を合わせるとこうなってしまう。

 

 私は自称「切り抜きおばさん」である。前日の気に入った記事をはさみでチョキチョキ、当日の新聞にはすでに読み終えた夫の気になる記事に付箋マークがあちこちに張りつけられていて、一日の終わりに整理をしている。幸いお互いの興味の在りどころが違うのでバッティングすることはない。専ら私のお目当ては文化欄がほとんど。そして連載小説である。なぜ連載小説かといえば毎日載る挿絵にある。お気に入りの画家のそれは連載あってのもの、いずれ単行本になっても挿絵にはお目にかかれないからである。何年か前に掲載された小説は、幕末に生きたある女蒔絵職人の半生を追ったものだったが、その挿絵の美しいこと、文章では届かないところを櫛や簪、印籠の蒔絵が麗しく描かれている。それは201回続いたので201枚分の分厚い帯状となって箪笥に収まっているが、たまに広げてみてほっこりとした気分になる。

 

 最近せっせと切り抜いたものは「小説・伊勢物語 業平」。この挿絵も色使いの爽やかな平安絵巻風で「ああ、私の作るビーズの色形もこんな風でありたいな」とつくづくあこがれてしまう。業平の詠む歌も雅で「ちはやぶる神代も聞かず竜田川からくれないに水括るとは」やっぱり一番いい歌ですね。また辞世の歌でありながらしゃれていて業平らしいなと思わされるこんな歌も。「つひに行く道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを」

 

 その日その時心に留まった記事や、絵、コラムなど張り付けた四冊目のノートは私のそばでスタンバイしている相棒である。新聞記事以外、美術館や音楽会のチケット、友人や自分自身の個展のDM、旅行先の食事メニューが大変おしゃれで捨てがたいものであったり、連載の花コラムはドントミスイット!とばかり何でもかんでもお取り置き。フクシアの脇には「ピアスを作ろう!」のメモ書きがあって、備忘録として一言記しておくと役に立つ。その時私は何を感じていたかを振り返るヒントにもなるので、年度月日を忘れてはいけない。何年か前のことでもリアルにその頃の情景が蘇り懐かしくもある。そして今に繋げることができるのだ。

 

 別枠で映画欄も設けている。専らテレビ鑑賞であるが、一年間を通してみるとずいぶんの本数になる。そして感想も一言。興奮した映画のタイトルには三重マル。ほとんどがミステリーなので自分の好みはどこから来るのかと不思議に思ったりする。人間はミステリアスな生き物だからつい深堀してみたくなるのかもしれない。

 

 それぞれのノートは切り抜きで膨れ上がり、自分自身がギュッと詰まった「見る日記帳」となっている。そして今の私はガラス素材のビーズを通してギュッと詰まった我が身を発散させている。

 

 

桃の花

画像/大橋健志

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