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紺碧の将

デザインの眼

2020.01.06

 昨年の秋の頃、東京に住んでいる義弟から電話があった。

「ちょっと教えてもらいたいのだけれど、我が家の家紋を知っている?」

 突然のことで私も大いにあわてた。「えっ、何だっけ」……。形はおぼろげながら思い浮かべることはできるのだが、名称が出てこない。

 笹の葉が三枚並んでいて、花があしらわれていたような……桔梗だったかなー、と誠に心もとない。

 結婚した時、義母から大切そうに贈られた袱紗と風呂敷の事を思い出した。確かにそこには家紋が染められていたはずである。

 ありました、ありました! 和ダンスの奥底にしっかりと仕舞われていたそれは、やっと日の目をみたとばかりに古の香りを放った。

 義弟が言うには、息子一家が三人の子供たちの七五三のお祝いに、紋付袴姿で神社にお参りするとの事、その時の紋付きの紋とはどのようなものかという問い合わせで、義弟夫婦も大いにあわてた。

 笹の葉を頼りに検索してみると、それは確かに『笹りんどう』と銘うって寸分違わない姿かたちで載っていた。あまりの数の多さに、何の手がかりも無かったら雲をつかむような話で、探すのに途方に暮れたことであろう。

 

 正月二日はデパートの古書市に足を運ぶのが私の年初めの外出である。

 気に入ったら漱石のなにがしかを購入するのだが、今年は『行人』の復刻版が目についた。それと『アルジャーノンに花束を』。きっとこれも何かのつながりであろう。『家紋デザイン集』が目に飛び込んできた。くるくるとめまいがするほど豊富な家紋デザインの数々。日本人はどのような気持ちで家紋を創造し、受け継いできたのであろう。

 平安時代に公家が牛車に車紋を付けたのが始まりとされているそうだ。そういえば新聞の連載小説『業平』(高樹のぶ子著)にも牛車の紋を見てどこどこのなにがしの車ではないか、という場面があったと記憶する。

 紋は印として大切なサインだったようだ。識字率の低かった時代は、誰もがひと目で見分けられる家紋はとても大切だったに違いない。

 翻って現代の私は、甥に質問されるまで家紋などどうでもいいこととして生活が成り立っている。

 でも日本の様々な行事ごとは丁寧に執り行う家庭もある。義母はそんな人であった。

 昔のことになるが、我が家の七五三の行事に際して、「康子さんには任せておけない」ということで、三人の孫にネクタイ付きのスーツ三着が贈られてきたことがある。

 私も黒の紋付羽織姿で、親子五人明治神宮の前で写真に神妙に納まっている。証拠写真は義母にしっかりと送ったはずである。

 

 その後甥からメールで写真が届いた。子供たちはそれぞれに晴れ着を着て、甥は紋付袴の凛々しいお父さんぶり、奥さんも晴れやかな和服、そしてそれぞれの両親がにこやかに控えている。

 非の打ちどころのないハレのワンシーンに私は思わず拍手した。きっと天国の義母は孫の快挙に大喜びしていることであろう。

 家紋であろうが何であろうがデザインと名がつくものに私は目がない。日本の伝統模様には心洗われる模様が沢山ある。麻の葉、亀甲、七宝、青海波などはそれぞれに幾種類ものパターンがあって美しいことこの上ない。

 何て日本人は感情細やかなんだろう。形を単純化させることでよりいっそうその物の本質が浮き立ってみえる。

 今年はこの家紋集を携えて、デザインする眼を大いに養いたいと思っている。

 

 

新年の風景

画像/大橋健志

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