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紺碧の将

和歌山で出会った水の話

2014.02.17

和歌山・神野々

 初めて和歌山を訪れた。高野山の麓にある小さな町。特別の目的があってのことではない。ある友人から誘われ、ついて行ったのだった。ふだん、私は100%近く、主体的に動く人間なので、そういうことは希有な例なのだが、その友人を信用していたのでとくだん訪問先のことも訊かず、予定を空けていたのであった。

 大阪のなんばから南海高野線で1時間弱。おりしも大雪の日で、時間がたつにつれ、ほんとうにたどり着けるのだろうかと心配になってきた。

 詳細は省くが、私はそこで素晴らしい水に出会った。

 このブログの読者であれば、私が植物を尊敬していることを知ってる人も多いだろう。植物は根から吸い上げた水と太陽の光をもとに、葉っぱで光合成を行い、デンプンなどを生成している。それは食物連鎖の重要な起点であるともいえる。光合成は、どんなに科学が進歩しようが、人間の力では行いえない。

 水は、あらゆる生き物にとってもっとも大切なものだ。老子でも禅でも水の重要性が説かれている。食べ物がなくても数週間生きられるが、水がなかったら数日しか生きられない。

 であるにもかかわらず、水について、真剣に向き合う人のなんと少ないことか。今、日本は40兆円近くの医療費がかかっているが、いい水を飲むようにすれば、その額は劇的に減ると思う(もちろん、根拠はないが)。

 私が訪れたところは弘法大師にゆかりのある地で、地下水が遙か時空を越えてこの地上に湧き出ている。水はあらゆる遺伝子の情報を伝達する役割も果たしているというが、訪れたところでは驚くばかりの光景が目の前にあった。

 例えば、ただ受け皿にその地の水を浸しておくだけでたくさんの蘭が咲いていること。しかも、長いものは5年くらい花が咲いているという。蘭に詳しい人であれば、それがいかに常識はずれかわかるだろう。野菜などの水耕栽培もそうだ。化学的な仕掛けをいっさい施さず、水だけで驚くほど美味しい野菜をつくっている。海水魚と熱帯魚が同じ水槽で泳いでいるという光景もあった。難病が治ってしまったというケースは数え切れないほどあるそうだ。なるほど私もそこの風呂に浸かり、食事をいただいたが、「自然」とはこういうものかと痛感した。それくらい、世の中が「反自然」に犯されている証でもある。

 今、「添加物を使っていない食品は日持ちがしない」という定説が流布しているが、これも誤っているのではないか。腐ってしまうということは、悪いものを使っているからだ。いいものは腐ったりカビが生えたりせず、ただ乾燥してしぼむだけ。まさに木村秋則さんのリンゴのように。

 100歳まで現役で、が私の目標だが、力強い援軍を得た思いである。

(140217 第487回 写真は和歌山県のとある風景)

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