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ココロバエ
偉大な日本人列伝

花の行方

2021.04.01

 私の家の隣は駐車場になっているが、フェンスの隙間からピンクの小花の鉢植えが2鉢ちらりと見えた。その時は何気なく記憶していたのだが、それから何日も経ってからまた目に入った。風に倒されたのであろう、2鉢とも横倒しになったままで、初めて私はそれが車に積み残された忘れ物であることに気が付いた。すでに花も葉もカリカリの状態、急いで水を与えてまた一日が経過、やはり忘れた人は戻ってこない様子である。気が付いたからには放っておくわけにもいかず、我が家の庭の水場に持ち寄り面倒を見ることになった。よく見るとピンクと紫の可愛い小花である。

 タグには<セネシオシルキー>と私の知らない花の名前がついている。シルキーさんには申し訳ないけれど、私の好みではないから花屋さんで求めることもなかったであろう。縁あっての花たちではあるが、すでに紫の方は生きるすべもないくらい枯れ果て、茎だけはしっかりしている様子なのでそこを残してさっぱりと切り取ってしまった。2鉢の運命を分けたものは何かはわからないけれど、その内に茎から新しい芽が噴き出してくるかもしれない。原産地が北米とあるからきっと丈夫に違いない。

 

 私の好きな歌がある。その昔、宝塚での舞台やアニメで一世を風靡した『ベルサイユのばら』。その歌詞がすごいと思った。物語全体を数行の歌詞が語り尽している。

 

─草むらに名も知れず 咲いている花ならば

 ただ風を受けながら そよいでいればいいけれど

 私はバラのさだめに生まれた 

 華やかに激しく生きろと生まれた

 バラはバラは気高く咲いて バラはバラは美しく散る─

 

 私は今、小さなビーズフラワー作りに熱中している。草むらに咲いているような名もない花、(実はみんなちゃんと名前が付いているのだけれど)キンポウゲやすみれ草、デージー、レンゲ草、野ばら、小手毬などを特に好んで創っている。それぞれに愛らしく、小さくても存在感バッチリである。誰かに求めてもらいたい自信の一本であるために私は手抜きをしない。それらを全部集めてブーケにしたときの花たちのハーモニーとざわめきときたら……、この至福の時を何に例えたらいいものか、作り手の私は一人で悦に入っている。

 しかしバラとなるとイメージは一変する。やはりバラは女王様、華やかで激しい。たとえば白バラだと気高さをも加味されるのだから引き算で考える必要は全くないのだ。

 さて女王様であるから必ず付き人や召使に囲まれているはず、どのようなお供が似合うのでしょうか。定番はカスミ草? いえいえそれはあまりにも時代遅れのコーディネートでしょう。白いブバリアは如何? それは結婚式の定番じゃないですか。では誰にも好まれるガーベラはどうかしら? それじゃ喧嘩になっちゃいますよ。ああ見えてもガーベラは主張するんですよ。

 結局バラは単独勝負するしかないさだめなのでしょう。たった一本でも、百本の束であってもそこにある佇まいは他の花の追従を許さない。普通色と形は補い合ってそこにあるから、調和というものが生まれ安心して眺めていられる。しかしバラには安らぎや安堵感は求めない方がいい。バラとしての役目を果たすのであれば、何物にも染まらないことである。

 

 ステイホームが強要され、それをあまり苦に思わない私でも、さすがに体は運動不足で退屈している。普通なら枯れかけた隣の花に目がいくほど暇ではないはずなのに、これもゆっくりと流れる時間のせいであろうか。1鉢の生命を拾い上げたことにも小さな喜びを感じていることが不思議でもある。淋しさを埋め合わせるために些細なことにも心を寄せている人々は多いと思う。不自由があるからこそ、忘れていた落とし物に気づかされることはある。優しさの共有、そして繋がっていることの共感に包まれている日本、この空気はしばらくは続くのであろう。

 

 思い切って凛としたバラを作りたいけれど、今はささやかなコサージュで心を満たそう。入学式、入社式のお祝いには胸に優しいバラのコサージュを。

 

 

 

バラのコサージュ

写真/大橋健志

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