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田口佳史講座ライブ配信
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縄文時代へタイムスリップ

2020.05.08

 私の通っている教会もとうとう新型コロナウイルス感染症拡大を防ぐため閉鎖され、ネット配信での礼拝となった。画像を通しての牧師の説教は不思議な感覚であり、これが今の時代の現実なのだと分かりながらも、私の生活感覚とは大いなるズレを感じた。

 

 私はスマートフォンの何かも未だ理解できず、使っているのはガラケーと呼ばれる携帯電話である。それもほとんど放置状態で、必要な時だけバックに入れて持ち歩いている。私と親しく交信できない友人に「何とかしなさい」と忠告されるものの、内心は「くわばら、くわばら」と思っている。おしゃべりの連鎖が果てしなく続くという思い込みが私にはあって、持たないほうがお利口さん、と決め込んでいる。何をそんなに連絡することがあるの、そんなに急いでどうするの、そう思っている私はいずれは世間から取り残されていく運命にあるのだろう。いやいや遠からずこの世とお別れするのだから、それはきっと杞憂というもの。

 

 こんな訳で、最近私を取り巻く生活環境についていけないことが増えてきた。理解不能な言葉や横文字、機械操作の手順、契約文書の複雑さ……、これらがスピード感を伴って私に迫ってくる。これじゃ老人は一人では生きられないよ、便利さイコール人間の幸せと勘違いしているんじゃない? 電話越しに聞こえてくるオレオレ詐欺のお兄さんの声が、いかにも人間味あふれていてついホロっとさせられる気持ちも解らないではない。

 

 「あーあ、人間の欲望ってどこまで求めたら気がすむのかしら。縄文時代に生きていたらどんなに気持ちが穏やかでしょうね」と突如ひらめいたことを我が夫に話を向けると、彼曰く「何言ってるんだ、床暖房付きの家にいて、車に乗って、そんな生活をのうのうとやってのけているママには言う資格なし」ときた。確かに。でもこれほどまでに便利にならなくていいのよ、身の丈に合った快適さでいいのにと考えるのは私の身勝手さなのであろう。人間の英知によって地球はこんなに豊かになっているのだもの、その分け前に与かるための努力は私もしないとね。現代人として。

 

 私の考える縄文時代は、はるかはるか昔の私たちの先祖が、狩と農耕に明け暮れ、竪穴式住居に住み、その日の獲物や収穫物を分け合って平和に暮らしていたということ、みんな平等で争いごともなく何と一万年以上も続いたなんて……、絶句するのみ。それから現代までの時間を思うと今は縄文時代の後期ではないかとの錯覚さえ覚える。

 

 縄文時代への親しみは私の劣等感の裏返しでもある。私の頭の程度はこの時代どまり、畑を耕し子供を育てることくらいは出来ると考えているからだ。空を飛ぶ飛行機を発明した人、宇宙へ飛び出そうとしている人々、DNAとか遺伝子組み換えの世界に至るまでの人間の業は、私の想像と創造を何億倍しても叶わない。宇宙の果てがどのようになっているのかを考えだしたら頭がおかしくなるのと同等の重みがある。

 

 もしかして、この時代でも私の私らしい居場所はあるかもと頭のどこかにチカッと灯りが点った。あの縄文土器の存在である。取り分け「火焔土器」の風貌は品格と豊かさにあふれていて、私もこんな器を作る<職人>になっているだろと思った。稲穂や食物、アズキやエゴマ、ウリ、ヒョウタンなど神に奉げる供物で満たされている。ついでに木の実や貝殻でネックレスも編んだことであろう。十分私は幸せな縄文人であり、小さな星屑となって今も天体で瞬いている

 

 何万年も前から、一粒の麦は地に落ちて実を結んできたのである。生きることの目標が死ぬことであれば、地に落ちて死ぬ一粒の麦となりたい。

 

スズラン

(画像/大橋健志)

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Profile

木曽 康子

木曽 康子

ビーズフラワー、アクセサリーを中心にビーズワークを続けて半世紀。

東京(自由が丘・銀座)・宇都宮のギャラリーにて個展多数。2012年 フーガブックスより随筆集「海流の旅人」を出版(ペンネーム 林 檸檬)。2017年 ビーズ作品の写真と、エッセイを収めた「ビーズの見る夢」を出版。宇都宮市在住。

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