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ココロバエ
魂の伝承

サスペンダーが似合う人

2021.02.19

 仕事やゴルフがオフという日がたまに我が夫にやってくる。ましてこのコロナの時代、東京へ寄席を聴きに行き、美術館へ寄るということも出来そうにない現実がある。そんな時私は、待っていましたとばかり本と衣類の整理をお願いする。

 今日は古いベルトの数々を眺めて思案に暮れている。まだまだ十分に使えるそれは立派な革であったり、バックルの細工が凝ったものであったり思い出までが付き纏い、昭和の男は大いに迷っている。「使うか使わないかで決めて頂戴」。と私は他人の道具だからはなはだ冷たい。

 そんな中からサスペンダーが2本出てきた。革ひもの三つ編みがオシャレなものと、コードバンのシンプルなものである。若い頃の彼は上背があったから似合っていたような気がする。今頃の男性にサスペンダーは人気があるのだろうか。ベルトよりも装着にひと手間かかるから敬遠されているかもしれない。日本語にすると“ズボン吊り”だが、もっと美しい言葉はないかしら。

 男性が実用を兼ねたアクセサリーとして身に着ける小物はほんのわずかで限られている。時計の宣伝ばかりが目立っていて、目玉が飛び出るくらいのプライスに驚かされる。サスペンダーの存在は私もずっと気にはなっていたが、おしゃれのアイテムとしてもっと生かされてもいいのではないかと思っている。

 

 西部劇やハードボイルドものに出てくる俳優さんたちは、時々サスペンダーを身に着けているシーンがあって、その風情が妙に心に残っているのは私だけの執着なのであろうか。『アンタッチャブル』のエリオット・ネス、『ゴッドファーザー・パート1』のソニーなんて、サスペンダーを纏ってとてもいい味を出している。大人だけではなくて子供にだって似合っている。『シェーン』のラストシーン、「シェーン! カムバック!」と叫んだ男の子の後姿は無骨なまでも生活の密着度が濃厚なX字型のサスペンダーであった。私の眼のずっと奥に焼き付いているのだから、しっかりとした映像の造りはすごいなーと改めて思う。

 サスペンダーは仕事用として実用本位で使われてきたものと、正装用としては、タキシードにはベルトはご法度で、サスペンダーを着用するのだそうである。今や懐かしの映画の中だけと思っていたが、意外な使い分けができる味のある脇役なのである。

 

 心の中の映像にしまい込んであるとっておきのシーンをひとつ語ってみたい。

 2018917日の東京公演でシャルル・アズナヴールを観た。フランスを代表するシャンソン歌手である彼に一目会いたくて、その歌声と仕草に触れたいという念願がついに叶えられた。その日の天候は下り坂で、原宿駅に着いた頃はどしゃ降り状態で夕闇が迫っていた。NHKホールまで15分ほどの道のりは、隣に夫がいなければどんなに心細かったことであろう。傘は何の用も足さず、靴の中までもうぐっしょりであった。

 そんなハプニングが私の緊張感を増幅させてしまったが、幕は定刻に静かに開き、バンドの音色が響いて暗いステージが彼の姿を浮かび上がらせた。私はすぐに落ち着きを取り戻し会場全体が一体感の中にあった。その歌唱力はのびやかで、彼は約2時間のステージを休憩を入れず元気に謳い切った。シルビー・バルタンに提供した「アイドルを探せ」や『ノッティングヒルの恋人』のメインテーマ曲「シー」などを聴けるのも嬉しくて、会場がどよめいた。帰りは雨も上がっていて、私たちは大満足で帰路に就いた。

 アズナヴール御年94歳。歌にかける情熱は少しも衰えていないように見えた。決して恵まれた体型とは言えないのにダークなシャツにサスペンダーがとても似合っていた。なるほどここぞ、と言うオシャレはこうして決めなきゃ。練習で鍛えた肺活量は一見してはわからないが、ビシッとしてゆるぎないサスペンダーの存在がそれを物語っている。ベルトで押さえるのではなく、吊るすという仕掛けはすとんとズボンが垂直に落ちる形になるので、すっきりと見えて動きも軽やかである。演じる彼の究極の仕事着であり、おしゃれのポイントなのであろう。

 プレゼントに配られたパンフレットの中身は感動ものであった。彼の両胸に収まっているサスペンダーの色、柄、模様が鮮やかに写し出されている。おそらく上等のジャガード織りのシルクであろう。黒地に鮮やかなピンクの花々が織られていて、その歌う姿はどんな俳優さんであろうと叶わない。これと同じ模様をビーズ織で織ってみたい。さすがサスペンダーは無理であろうが、世界に一つのビーズタペストリーが生まれる夢を描いている。

 

 俄かに信じることが出来なかったが、それから間もなくしてアズナヴールが急逝したというニュースが日本にも飛び込んできた。お風呂場事故だそうだ。日本が大好きな人だったから、きっとシャワーではなくて浴槽でのことだったのかしらと悲しい想像をしてみる。アルメニアを祖国に持つフランス人であり、彼の活躍はシャンソン歌手としての名声だけにとどまらない。俳優としても優れた作品を残している。むしろ私は最初に彼を知ったのは映画からであった。もう少しシャルル・アズナヴールについて語りたいと思う。

 

 

椿と帯のタペストリー

写真/大橋健志

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