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紺碧の将

夢のままで

2021.01.07

 正月も三が日が過ぎたころには、冷蔵庫の中も閑散としていて、おせち料理の名残りがひっそりと最後の出番を待っている。そのまま食卓に並べるのはあまりにも芸がなくて淋しい。それではどのようにひと工夫しましょうか、本領発揮とばかり私の頭がくるくる動き出す。

 とろろ芋とマグロには三杯酢と生姜の風味、春菊はゴマ和えにしてゆり根の残りも入れましょう。カニはほぐしてクリームコロッケがいいわね。小鉢の幾つかが揃い「今夜はワインでいきますか」などと言っているうちに、夫の選んでくれた一瓶がポンと口を開き乾杯タイムの始まりである。

 

 私はお酒が大好きな両親に育てられた。週末は常に宴会ムードが漂い、麻雀客を中心に離れの部屋は日本酒の香りとたばこの煙、ざわめき、パイの音などが混然と醸成されていた。障子と襖に囲まれた八畳と四畳半の部屋、楽し気な父の笑顔……、私が小学生の頃の記憶の中のワンシーンである。

 この家は玄関の間口は狭いけれど奥にずっと長く、そのちょうど真ん中に台所があった。来客だ宴会だという時には大きな火鉢が据えられ、炭火の上で鉄瓶がちんちん音を立て、酒の燗をするための準備ができている。いつの間にかそこは私と4歳年下の妹の仕事場(?)にもなっていた。いわゆる二人は「燗番娘」で、いい頃あいの燗に仕上がると母に「出来たよー」と声をかける。母は母で料理を運んだり、酒の進み具合を眺めたりと、忙しく離れと台所を行き来している。そのうち一段落したのであろう、母は台所に戻ってこなくなる。

 そうなると銚子を運ぶ役目は私に回ってきて、燗番は妹で、熱燗ぬる燗の状態を確かめている。一番確かなのは一口頂いてみるに限る。調子のでた妹は、はやり歌など歌いだす。

 おーい船方さん、船方さぁ~んよ~♪てな調子である。「おっ、いいレコードがかかっていますね」と客。「いや、あれはうちの娘が歌うているんですわ」と父。母もすっかりくつろいでしまって饒舌である。私は空になった銚子を集めたり、何か不足はないかとそれとなく見まわしたりと,小学生にしては出来過ぎた娘である。妹に至っては恐るべし!

 

 私の大好きな叔母には二人の息子がいるが、私たちを眺めながら絶対女の子、娘がいいといつも言っていた。男は愛想が無くてつまらない、と言うのである。私たちは二人のいとことも仲良しで、会うと我が家の長い廊下を箒やはたきを抱えて走り回りチャンバラごっこに興じていた。今でも心優しいお父さんである。しかしやっぱり叔母から見ると女の子は違うのであろう。

 叔母は大変心根の優しい人で、料理が上手であった。突然であっても手早く美味しいものを作ってくれる。ささがきごぼうは薄く丁寧に削られて椀の中、そこへ熱々のだし汁が注ぎ込まれるとごぼうが一斉にふわりと浮かび、独特の香りが鼻腔を直撃する。その時の感動は今も忘れてはいない。これぞ料理の極意だと思った。

 それで私は叔母にこう告げた。「二人で小料理やさんを開こうよ。おばさんは美味しいもの担当、私はお酒を、きっと上手くいくよ」。叔母はにこにこ笑って聞いてくれた。子供の言うことには現実味がなかったかもしれないが、私は真剣であった。

 時々思い出すことはあっても、私の成長と共にそのことは二度と話題には上ることはなかった。叔母は昨年の春、コロナ禍の中天国に召された。

 

 昭和30年代、40年代は地方に住んでいる若者の気持ちは東京に向いていた。両親は大学進学を許してくれていたが、もし合格しなくても何をしてもいいから東京へ行きたいと思い始めていた。そして何を考えているものやら自分にあきれるが、実は銀座のクラブのママになること、がイコール東京へのイメージでもあった。どこで得た知識かは分からないが、お酒が強いだけではねぇ……。

 もう少し時代が早ければ、東京への夢は抱かずに叔母との約束を真剣に考えたかもしれない。「結婚」という二文字がなければあるいは「銀座のママ」を追い求めていたかもしれない。

 

 私が結婚を決めた相手は当時は医学生であった。心臓血管外科医となりその人生を全うし、今も現役で市井の医師として元気である。「お医者さんの仕事は昼も夜もないから、女房が夜出歩いていたのでは可哀そうだ」。その一点で私の頭の中からさっぱりと「銀座のママ」は消え去った。確かにその後の彼の働きぶりはすさまじく、夜の12時前に帰宅できることは殆どなく、夕食はいつも午前さまであった。先ずビールを飲んで小一時間かけて食事をするのだからあっぱれと言うほかはない。どんな時でも美味しく食事を頂く姿勢は変わらず、だから健康なんだなーとつくづく思う。

 気の利いた当てなるものと、美味しいお酒、その日のトピックスと時には派手なディベイト、小さな倶楽部ではあるが、幻の銀座のママは当分健在である……と思いたい。

 

 

 

写真/大橋健志

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