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紺碧の将

夏の日は幻

2020.08.24

 こう暑いと仕事場のドアを開けるのも億劫である。完全に私の全身がけん怠感という曲者に侵されている。

 創作意欲が湧き、手が動き出すためにはいくつかの手順があるのだが、ドアを開けるのも嫌というのは相当の重症だ。悪あがきは体に良くないから何か方向転換をしよう。

 

 外を見やると芝生の庭が一面麦畑になっている。麦畑とは少々大げさだが、芝刈り機では到底歯が立たないくらいの見事な成長ぶりで、このままだとベンチも植木鉢も見えなくなり、風景が一変することであろう。

「どんな風に変わるのかな、風にそよいでいる芝畑なんてワイルドな風景!」などとのんびり構えている暇はない。手になじみのいい小枝挟を取り出し、花壇と芝を分けているエッジ部分から刈り込み開始である。芝の束を左手でむんずとつかみ、鋏をその根元に鋭角に差し込みバッサリと切る。その度にザック、ザックと草が刈り取られる音がする。うん、これは正しく稲刈りの音、釜と稲穂が絡み合う収穫の音に違いない。草いきれが立ち上り、ミミズがあちこちから這い出してくる。

 こんなはずではなかったが、私は暑さも忘れてしばしこの単純作業に魅せられていた。バケツが一杯になると一休み、うろうろと家の中の仕事を片付けているとまた“草刈り”がしたくなる。一日4~5回のこの作業はその後14日間続いて一応終了となった。

 

 7日目あたりから、刈り取った場所がパッチワークのようにつぎはぎ模様になって現れるのもなかなか面白い。1日目のところがもう緑の芝が生えてきて小刻みに震えている。

 この単純な行動に快感を覚えている私は一体何なのであろう。

「あと半分頑張るとすっきりするぞ」という感情は一種の征服欲であろうか。年甲斐もなく粘っている私に息子は恐れをなし、新しい鋏と腰かけて移動できるフィールドカートという有難い椅子を提供してくれた。これで益々作業に弾みがついた。

「ミミズさん、睡眠の邪魔をしてごめんなさいね。ダンゴムシさんも縄文時代の頃からこうして生き続けてきたのね」語りかけながら、私の手は休むことなく容赦なくザック、ザックと刈り込んで生き物を追い込んでいる。

 10日も過ぎたころから、パッチワーク模様がもっと広がり一日ごとに色合いの変化が歴然としてきた。以前の場所はうっすらと緑が生え、今刈り取ったばかりのところは薄茶色である。「うわー、これじゃまた同じことの繰り返しだわ」向こうから敵がひたひたと押し寄せてくる景色である。為政者は足元ばかり見つめていてはいけない。何事も俯瞰で眺めないとね。

 新しく芽生えている若い芝は懸命に伸びようとしていて健気である。そしてとても美しい。全体の調和を考えたらどうしたらいいの……

「そうだ、あとは芝刈り機に任せるべし」

 14日目に私は仕様もない結論に達したのだが、この交代はちょっと淋しい。草が手に触れる感触と流れる汗の快感を久しぶりに味わった。はるか先祖の記憶が私のDNAにも組み込まれているのだと確信できたことが何故か嬉しい。本当に大げさではなく、私は縄文の人と交信できたと思っている。

 

麦の穂

写真/大橋健志

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