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紺碧の将

ささやかだけど大切なこと

2021.10.11

 東京日比谷の帝国ホテルのエントランスロビーには、季節の花が大きく盛られ、ゲストを迎える「ロビー装花」として広い館内を華やかに引き締めている。ひと月ごとの入れ替えなのであろうか、いつ訪れてもその季節にふさわしく何百本の向日葵だったり、半円形にびっしりと埋め込まれた深紅のバラ、燃えるような鶏頭の一群と、期待以上の驚きと感動の歓迎を受ける。

 さらに進んでエレベーターに乗ると、真正面に薄ピンク色の一輪のバラの蕾が凛として屹立している。少しほころんでいて花になる手前の清純な姿で、永遠にそこに在るかのような揺るぎのないウエルカムフラワーである。

 

 随分昔のこと、初めてのヨーロッパ旅行でアムステルダムのあるホテルに滞在した時のことである。早朝のレストランはまだ全体が陰って見えて、点在する円形テーブルの真ん中にはお揃いの卓上花が浮かんで見えた。スープを入れても似合いそうな丸い白い器に何種類もの小花がこんもりと盛られている。私が判る花はバラやカーネーション、デージーくらいで、あとの小花はこの地方で自生し摘み取られたものであろう。それぞれが溶け合って、朝の祈りにも似たメロディーを奏でている。さすがは花の国オランダであることよ、と感激したことはまだ記憶にある。

 生花であれば毎日水を与え、花の様子を眺めながらのメンテナンスは容易なことではないだろう。造花でも十分その役目を果たせると思うが、新鮮な花のハーモニーで迎えたいというホテル側の心意気が感じられて、私の旅心は大いに満たされるのである。

 

 最近のこと、栃木県内のホテルから嬉しい仕事を頂いた。そこのショップにビーズフラワーやアクセサリーを納めているのだが、今回はレストランのテーブルにビーズフラワーの卓上花を作って欲しいという依頼であった。15卓あってそれぞれ違ったフラワーを、となかなかハードルが高い。しかし私が一番腕を振るいたいのはテーブルや机、ピアノ、コンソール、キッチンや居間の出窓などに場所を得て飾られる愛らしい花たちなのである。 

「ビーズの花はどこにどういう風に飾ったらいいのか分らない」と言われることも多く、私の説明不足や提案の未熟さを痛感することがある。それゆえ、またとないチャンスを頂いたと感謝して早速試作品に取りかかった。

 どんどんアイデアが湧いてきて順調に進んだかに見えたが、手が思うように進まなくなってきた。原因は何かというと、果たしてこのフラワーコンポートはあのレストランに合うのかしら……? という疑問であった。試作品が増える度にその不安は募ってくる。自分ながらいい出来栄えだと調子に乗っていたのに、そのいい出来栄えが独りよがりなのではないか、との思いに苛まれ始めた。レストランは客が楽しく集い、美味しく料理を頂くところである。張り切り過ぎたビーズの花は「私を見て!」と出しゃばるかもしれない。

 そう思い始めると思考回路はどんどんマイナス方向に進んでいく。すべてをもっと控えめに、という脳の指令に従ってみると生気のないただの置物がそこにある。ちっとも楽しくない。私の仕事ではないかもしれない、との悲観的な思いに囚われてにっちもさっちも動けなくなってしまった。

 

 相手の立場を考慮するという作品作りを私はしてこなかった。「個展」は自分のわがままを発揮できる独壇場といえる。ちょっと視点を変えてみるのは大切なことだ。帝国ホテルのディスプレイも、アムステルダムのホテルのレストランも素敵だった。それはフレッシュな花だからということだけではなく、その在り様を通して見事に<そこを訪れる人>にアピールしているのだ。

 未だに無名に近いビーズフラワーではあるが、アピールする努力は惜しんではいけない。ホテル専属のデザイナーに相談するのが一番スムーズかもしれないとの思いに至った。どこかいい着地点が見つかるような気がする。

 ホテル発ビーズフラワーの未来を楽しみたい。

 

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