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紺碧の将

移動ゲーム

2021.08.19

 最近のこと、ほぼ時を同じくして私はこのChinomaサイトで二つの文章を見つけた。

 「ちからのある言葉」より、―わからないものをそばに置いておくことは大事―(岡本仁)という一節、もう一つは「海の向こうのイケてる言葉」より、―Chance favors the prepared mind<チャンスは備えある者に訪れる>―(ルイ・パスツール)という二つの異なったフレーズなのだが、すでに私の中で合体し共存しているという確信が突然湧いてきた。

 

 私の日常生活はやたらと枝葉が多い。だからさぞかし幹は太くて丈夫なのだろうと想像してもいいのだけれど、それは消え入りそうに頼りない。小さな葉っぱたちはそれぞれに一生懸命考えているのだから、幹は枝を通って葉に栄養は送っているはずだと思ってみるのだが、その実感が生まれてこない。ここで私が考える栄養のルートは幹から葉っぱではなくて、葉っぱから幹へと流れているようだ。明らかに自然界とは逆行している。幹がだらしがないから、お日さまからの情報を葉っぱは懸命に集めなければいけないのだ。この葉っぱには季節のことを、こちらは写真のこと、新聞や雑誌の切り抜きのこと、リボンや布地のこと、器やランプのこと、めずらしい瓶や缶の確保、古い絵葉書の蒐集、美術館で求めたポスターの数々、チョコレートやクッキーの箱はなるべく保存すること、何か気になる海外のお土産品、等々と葉っぱたちの役割は千差万別である。

 司令塔は一か所だけなのだから、きっとそこの頭脳がイカレているのだろう、と客観視している自分がいる。しかし、厄介なことに私の中ではすべてが繋がっている。一見価値がないように見える物とほかの何かが合体して「ほほう……」という新物体が出来上がることもあるからだ。

 

 いつだったか、毎朝飲んでいる“腸活ミルク”の蓋にお気に入りの布を張り、それを2個作ってグルーで張り合わせ、合わせ部分をリボンで回し、中心をビーズで飾ると、なんとも愛らしいマカロンやクッキーの出来上がりである。

 ビーズの個展などでデイスプレイの一環として、テイータイムの雰囲気よろしく、三段トレイにいっぱい盛り合わせたりして、私自身が一番楽しんでいる。たまにお客様から「うわー、可愛いぃ~」と喜んでもらえ、たとえ一個でも売れたらすごく嬉しい。私の創作に共感してくれる人がいると思えることは幸せなことである。

 しかしこんな役に立たないものを作ってどうするの? と言われるとそこは私の泣き所である。親切に「中に巻き尺を入れてここから引っ張り出せばいいじゃない」という人にも出会う。実用的なマカロンなんて私の心は淋しくなってしまう。

 実際のところ、我が家の衣裳部屋や棚の中は、「どうしょう」という物であふれている。幾度となく断捨離を試みてみたが、ジグソーパズルのように物が移動するだけで一個も減りはしない。それはそう、何度もこの試練をかいくぐって生き延びたものたちだもの、しがみついて私から離れようとはしない。

 「いつかお前たちも日の目を見る時が来るから」。ふがいない私ではあるけれど、しぶとく希望は捨ててはいない。

 

 ―わからないものをそばに置いておくことは大事―

 

 ―チャンスは備えある者に訪れる―

 

 今まで気が付かなかったけれど、このことなのよね、多分。

 私の葉っぱたちは、ただ風に身を任せてせめぎあい、もやもやをぶつけ合っている。単純だけどこの不動の言葉は、私の気持ちを落ち着かせてくれる。

 

向日葵

写真/大橋健志

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