多樂スパイス

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紺碧の将

日はまた沈む

2013.02.18

ザンベジ川の夕日 アフリカの大地に立った。

 

 「ほぼ4日に1回、ブログを更新しているのに、最近とんと更新していないが、いよいよ高久もヤキがまわっておっ死んでしまったかぁ……」と思っていた人がいたかどうか知る由もないが、じつはアフリカへ行っていたのであった。

 本来であれば、一昨年の4月に行くはずであった。しかし、東日本大震災でそれどころではなくなり、やむをえず中止にした。そういう経緯もあったので、感慨無量である。

 今回、訪れた国は、ジンバブエ、ボツワナ、そして南アフリカの3ヶ国。

 高校の修学旅行以来となる団体ツアーを利用し、10日間の旅を堪能した。

 行く前は、一抹の不安があった。なにしろ、私は子どもの時分から協調性が著しく欠如し、みんなと同じ行動をとるのが好きではない。「前へならえ」と言われれば、「なぜ?」と思ってしまうし、宴会でビールをつぐのもつがれるのも好きではない。気をつかうゴルフ接待など、死んでもできないだろう。ある意味、だからこそ、前回のブログのように、他とまったく異なる独自の経営法を貫いてもいるのだが、そんな人間が10日間も大勢の人たちと同じ行動がとれるのだろうかと心配だった。しかし、終わってみれば、それも杞憂にすぎなかったことがわかった。それどころか、じつに有意義な旅だと思えた。

 そもそも、アフリカでの自由旅行はかなり手慣れた人でなければ難しいだろう。なにしろ、移動の手段がほとんどない。鉄道もなければタクシーもない。3ヶ国のなかで、南アフリカは経済的にも発展しているとはいえ、治安は悪く、夜の外出さえままならない。そのような状況において、見たいところ、行きたいところへ効率よく行くのは不可能に近いと思えた。

 さて、前置きはともかく、今回から数回にわたって、アフリカ旅行記を書いてみたい。

 

 人は生まれて死ぬまでに、なにをよすがとして生きるのだろう。

 多くの人はなんらかの組織に属し、その組織の価値観に従い、ある一定の人生を過ごす。それはそれで意味があるのだろうが、死期が近づくにつれ、それまで「よすが」としていたものの価値が下落していくケースが多いのではないかと思う。

 例えば、サラリーマンであれば、「地位」やそれにともなう「収入」が重大なよすがになるはずだが、定年退職の後、それらははたしてどれほどの価値を維持するであろうか。

 私は「100歳まで現役」を目指しているので人生の終焉はまだまだ先のことだが、最期に近づいて自分の人生を総括し、「良かったのか悪かったのか」を判断する際、決め手となるのはなんだろうと時々考える。そして、そのとき持っているお金の多寡ではないと確信することができる。むしろ、お金持ちほど煩わしいことがあるようだ。それよりも、相互信頼に基づいた濃密な人間関係のあった人生かどうかの方が、ずっと重大な価値を帯びていると思う。

 と同時に、生涯で見た絶景も「いい人生」の決め手となる重要な要素になると思っている。なぜなら、この世を卒業するということは、自然の懐へ帰っていくということでもある。心の底から感銘を受けた自然のシーンを数多く記憶している人の方が、安心してこの世を卒業し、あの世へ旅立つことができるのではないか。もちろん、安心して死ねるために美しい風景を見るわけではないが。

 

 旅の初日、自宅の玄関を出た後、ジンバブエの最初のホテルにチェックインするまでに30時間弱を要したが、その日の夕方に見たザンベジ川の夕日は、生涯私の脳裏の一室を占め、何度も再生されることだろう。

 

 悠揚と朱鷺色染むる空と川 時も倍なるアフリカの変化(へんげ)

 (130219 第402回 写真は、ザンベジ川の夕日)

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