不条理が普遍性を生むという皮肉

短編作家といえばヘミングウェイやモーパッサンを連想する。もう一人加えろと言われれば、ためらうことなくチェーホフを選ぶ。
どちらかといえばチェーホフは戯曲作家として知られているが(本書にも『かもめ』『ワーニャ伯父さん』『三人姉妹』『桜の園』の4大戯曲が収められている)、私の好みから戯曲ははずれる。あくまでも戯曲は舞台劇のシナリオであり、読むより観たいという気持ちが強い。
さておき、チェーホフの短編である。なんといっても強く印象に残っているのは『六号室』。ロシアという不可解な国家で生きるうえで、おのずと身についた殺伐とした心性が不気味なほど凝縮されている。不条理の極みともいえるが、皮肉にもこの傑作の養分となったのは、強権的な専制国家、過酷な自然環境、そしてチェーホフ自身、結核を患っていたことではないかと思う(チェーホフは1904年、44歳で死去している)。多少の名誉にはあずかっていたものの、境遇があまりにも過酷だった。
文学は過酷な状況に咲く華である。のほほんとした状況で傑作は生まれない。ドストエフスキーを見よ! あと数分で銃殺されるところで窮地を脱し、それを後の糧とした。ヘミングウェイは自由な日々を送る条件が揃っていたにもかかわらず、自ら戦地に赴き、生と死の境界にわが身を置いた。
イワン・ドミートリチは精神病棟を巡回する医師。おそろしく頭脳明晰で弁の立つアンドレイという患者に惹かれ、診察のたび何時間も話をする。
イワンはアンドレイに言う。「あなたに残された道はただひとつ。ここ(精神病棟)にいることが必要なのだと考えて気を沈めることです」。するとアンドレイは「そんなことは誰にも必要じゃありません」と答える。それに対するイワンの言葉がロシアという国家を象徴している。
「しかし、監獄や精神病棟が現に存在する以上、誰かがその中にはいっていなければなりません」
病棟があるのだから〝誰かが〟そこに入らなければならないのだという理屈だ。しかし、皮肉にも(精神病患者とみなされる)アンドレイと長時間の議論を続けるイワンは精神病とみなされ、病棟に収容されてしまう。そのときのイワンの心の風景が読者をゾッとさせる。抵抗や怒りを示すのではなく、〝自分を守るために〟あっさりと状況を受け入れるのである。
ロシアがウクライナに侵攻してから、早くも4年以上が過ぎた。その間、ロシアの戦死傷者は200万人以上と言われる。プーチンは可愛がっていた秋田犬が死んだとき、涙を流したそうだが、自国の若者がどれほど死のうがまったく意に介さない。
それでもロシア国民は民主主義を求めない。あんな面倒くさい政治体制はまっぴらごめんという。それなら少々不都合があっても強いリーダーに率いられたほうがいいと考えるようだ(とロシア文学者・亀山郁夫氏が何かに書いていた)。なんとも不気味な国である。忘れてはならないのは、日本はそういう「理屈が通じない」軍事大国と国境を接しているということ。
本書には他にも『犬を連れた奥さん』『可愛い女』『小役人の死』『いいなずけ』など、とびきり出来のいい短編が収録されている。ロシアという国は不気味だが、そこで生まれた文学や音楽は今も私を魅了する。これもひとつの不条理であろう。
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