ベルリンの壁崩壊と美しき音楽の調べ

音楽と共産主義革命をからめた小説といえば、髙樹のぶ子の『百年の預言』を連想するが、この作品も完成度が高い。
なぜかクラシック音楽と政治的原理主義は親和性がある。考えてもみてほしい。ヒトラーがワーグナーではなくボサノバやディキシージャズが好きだったら、あの狂気はかなり薄まっていたと思う。クラシック音楽は原理主義的で純粋で絶対的であり、それが極上の美にも頽廃にもなりえる。
本作の時代背景は1989年、ピアノを学ぶため東ドイツに渡った眞山柊史の目を通して描かれる。1989年といえば、ベルリンの壁が崩壊した年。人間が頭だけで描いた理想主義のなれの果てを世界に示した年といえる。
眞山が留学したドレスデンの音楽大学には、二人の天才的なヴァイオリニストがいた。楽譜から作者の表現意図を正確に読み取り、どんな難曲もわがものにしてしまうイェンツ・シュトライヒと自由奔放な演奏で聴く者をすぐさま虜にしてしまうヴェンツェル・ラカトシュ。ヴェンツェルに見込まれ、演奏会で彼の伴奏をすることになった眞山は音楽家として、そして人間として成長していく。
本作を読むと、人間というものはまったく進歩しない生き物だということがわかる。科学の進歩を人間の進歩ととらえる人が少なくないが、その見方は間違っている。なぜなら、科学の進歩はそれまで積み上げてきた研究成果をベースにしている。富士山登頂に例えれば、生まれた時点で頂上に近い位置にいるのだから、いかな科学的成果も自分だけのものとはいえない。
作者は当時の東ドイツの社会状況を、まるで現地で〝見てきたかのように〟描く。市民を監視し、密告を奨励する国家保安省はゲシュタポのノウハウをすべて受け継いだ組織だというが、その冷酷無慈悲さに震撼する。眞山の同級生の人間模様も凄まじい。「すべての人が平等」という、世の中にありえない制度に組み込まれた人間がどう変わっていくか、それも本作の読みどころだ。
一方で、当時の社会主義国は女性の社会進出が進んでいたという。良くとらえれば進歩的な考えだったといえるし、うがった見方をすれば、働ける者はすべて動員しないと社会が回らなかったのかもしれない。
須賀しのぶという作者は、本作を読むまでまったくノーマークだった。それもそのはず、ずっと少女小説を書き続けていたという。そういう人がいきなりこれだけの作品を書いてしまうのだから、驚くばかり。
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