音楽を食べて大きくなった
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紺碧の将

夏の日、冷たく澄んだ泉で喉を潤すごとく

file.012『ヴァイオリン・ソナタ イ長調』セザール・フランク

「間髪おかずいちばん好きなヴァイオリン・ソナタをあげろ」と言われれば、迷わずフランクと答える。

 彼は生前、1曲しかヴァイオリン・ソナタを作曲していないため、番号は付いておらず、「ヴァイオリン・ソナタ イ長調」と表記されることが多い。聴いてため息をもらしたことは数しれず。世にこれほど美しい音楽があるのかと。

 1886年に作曲されたこの曲は、ベルギーのヴァイオリニスト・作曲家であるウジェーヌ・イザイの結婚祝いとして作曲された。こんなに素敵な曲を結婚祝いにもらえるなんて、イザイは果報者だ。だが、作者も予期していなかったであろう、この1曲によってセザール・フランクの名は永遠に音楽史に刻まれることとなる。

 その完成度の高さは、筆舌に尽くしがたい。ヴァイオリン・ソナタというジャンルは〝小ぶり〟で地味そうだが、モーツァルトやベートーヴェンなど超がつく天才による傑作が目白押しだ。特にモーツァルトの25番から42番まではいずれも甲乙つけがたく、チャーミングと呼ぶ以外にない。それらを押しのけ、フランク作はこのジャンルの最高峰に位置すると思っている。

 第1楽章の冒頭、ヴァイオリンとピアノが柔らかなタッチで奏で合い、いかにも愛を語らうかのように幕を開ける。第2楽章は一転して、激しく音形がうねる。パッションあふれるピアノに呼応し、ヴァイオリンが野太い音を響かせる。章の最後は劇的に終わるため、演奏会ではここでしばしば拍手が起こる。第3楽章は最初に提示された主題が形を変えて繰り返され、やがて成就する愛を想像させる。

 そして最終章のアレグレット・ポコ・モッソ。冒頭の数小節をどう表現したらいいのだろう。喉がカラカラに渇いているとき、冷たく、澄んだ湧き水を口にふくんだ瞬間にも似た感覚とでも言えばいいのか。全身に温かい波状が広がっていく。そして、遠い日の幸福な記憶を喚びさまされる。ピアノとヴァイオリンが同じフレーズを追い駆けっこするところはなんとも微笑ましい。

 この曲は、すべての章のどの瞬間を切り取っても、想像を絶する美しさを湛えている。と書けば、「なにをオーバーな」と思うかもしれないが、事実その通りなのだ。

 2004年2月、私は当時発行していた『fooga』という雑誌で、チェリスト宮田大君を取材した。彼がまだ大学生の頃だ。あどけない表情が印象的で、その後、これほど大物になるとは想像できなかった。

 記事の最後に、私は掌編をつけた。宮田大君が成長した後、パリでリサイタルを開き、フランクのヴァイオリン・ソナタを演奏するという設定だ(この曲を演奏するチェリストは少なくない)。演奏会が終わり、白い髭を生やした一人の日本人が楽屋に1枚の紙切れを届ける。紙切れには「バナナとチーズの暖かいムース 冷たい板チョコ包み、とてもおいしかった」と書かれている(もちろん、白い髭の日本人は将来の自分である)。

 そう、この曲は、ともすると冷たい印象を与えるが、なかはじーんと温かい。こんなタイプの人は、さぞかし魅力的だろう。

 

 フランク以前、ヴァイオリン・ソナタはヴァイオリンが主役でピアノは伴奏という色合いが濃かったが、この曲ではヴァイオリンとピアノが対等にわたりあいながら、循環形式で作られている。循環形式とは、いくつかの主題が繰り返されながら全体を構成する形式をいう。朝出かける前に聴いていたメロディーが終日頭のなかで響いていることがあるが、そういう現象を活用しているともいえる。前の楽章で聴いたメロディーが形を変えて現れると、微妙な感懐を喚び起こされる。

 この曲は、偉大な先輩作曲家にインスパイアされて作られたが、うまく活用している点も微笑ましい。同じイ長調で書かれたベートーヴェンのピアノソナタ第28番「テンペスト」に触発されたと言われるし、第2楽章ではモーツァルトの「ジュピター」の音形が現れる。フランクはバッハの対位法を研究していたが、それも巧みに用いている。

 ところで、なぜフランクのヴァイオリン・ソナタはかくも清澄で美しいのか。その答えを彼の人格に求める人が多い。

 彼の知人友人は口を揃えて、「フランクはとても謙虚で、他人を敬い、勤勉だ」と評価した。芸術家は、人間性と引き換えに特殊な能力を得たと思えるような人格破綻者が多いが、フランクはじつに誠実な人だったようだ。

 しかし一方で、生前、彼の音楽が評価されることはほとんどなかった。せいぜいオルガニストとして知られていたのと、パリ音楽院の教え子たちから支持されていたこと以外、脚光を浴びることはあまりなかった。それどころか当時の主流派からはかなり辛辣に無視されていた。

 面白いのは、フランクの死の直後から彼の名声が急激に高まったことだ。天国の彼は苦笑いしていたかもしれない。かつてあれほど罵られ、馬鹿にされた作品が各地で演奏され、賞賛を受け、それが止むことはなかったからだ。そして、ベルギー生まれでありながら「フランス近代音楽の父」とみなされるようになった。

 フランクのスタイルが後世に与えた影響は多大だ。ドビュッシーもフランキスト(フランクに影響を受けた人をそう言う)の一人だが、フランクに対しては深い敬意を持ち続け、彼が嫌ったワーグナーに唯一対抗しうる「フランス音楽」の作曲家と位置づけ、「子供の魂を持った人物」と評価している(ドビュッシーはワーグナーが大嫌いだった)。

 では、フランクのヴァイオリン・ソナタはだれの演奏で聴くべきか。私はさんざんいろいろな演奏を聴いたが、1993年に録音されたオーギュスタン・デュメイ(vn)とマリア・ジョアン・ピリス(p)のものと、2019年に録音されたアリーナ・イブラギモヴァ(vn)とセドリック・ティベルギアン(p)のものがお薦め。五嶋みどりやチョン・キョン・ファも悪くない。

(写真右)ロダン作の胸像がフランクの墓にある

 

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