音楽を食べて大きくなった

ADVERTISING

紺碧の将

音楽の一期一会

file.011『ザ・ケルン・コンサート』キース・ジャレット

 20代の半ば、ジャズのライブハウスでバイトをしていた。それまでロックに狂い、ときどきクラシックも愛聴するという音楽の聴き方をしていたが、ジャズが私の生活に浸透してきたのはその頃からだ。JBLのドでかいスピーカーから流れてくる立体的な音は、あたかもすぐ目の前で演奏しているかのごとく臨場感があった。

 マイルスからジャコ・パストリアスまでジャズの名盤を聴き続けるなか、際立って異彩を放っていたレコードがあった。それがキース・ジャレットの『ザ・ケルン・コンサート』(The Köln Concert)だった。

 どこにも属さない〝一所不住〟の人、キース・ジャレットは、1972年夏頃から完全即興のソロコンサートに挑み、その音源が西ドイツのジャズ・レーベル「ECMレコード」によってレコード化され、それなりに注目を浴びていた。『ザ・ケルン・コンサート』は、そういう流れの延長線上に生まれた作品である。

 1975年1月24日、彼は全曲ピアノ独奏のインプロヴィゼーション(即興)というとんでもない企画に挑んだ。場所はケルンのオペラ・ハウス。演奏された3曲に名前は付与されず、ただ「Köln, Janualy 24」とあるのみ。

 キースの奏でる低音は宇宙の広がりを、高音は夜空にきらめく星をイメージさせる(星空といえば、これまでに見たベストはタヒチのそれ。満天の星というのはこういうことを言うのかと思うほど、夜空いっぱいに星々が輝いていた)。そんな硬質で清澄なピアノの音はジャズとは言い難い。もちろんクラシックでもない。ジャンルを超えた音楽だ。

 テンポは自由に変わり、ときおり音と音の間にじゅうぶんな間が空くが、それすらも音楽に聞こえる。聴衆が息を呑む、ただならぬ空気が伝わってくる。

 キースは、ジャケットの写真にあるように祈るような姿で弾いていたにちがいない。音楽の創造主につながりたいと一心に念じながら。

 すべてがインプロヴィゼーションという難題に挑む前、キースはこう語っている。

「今までに作られたことのない音楽であり、やがて一般化されることが望ましい音楽をやりたい」

 はたしてこのスタイルが一般化したかといえば疑問だが、少なくとも道なき道を切り拓いたことはたしかだ。このコンサートの模様はECMレコードによって2枚組アルバムとして発表され、400万枚のセールスを記録した。

 

 ところで、この前代未聞のコンサートを企画したのは、当時17歳の学生だったというから驚く。彼の名は、ヴェラ・バランデス。熱心なジャズ・ファンのドイツ人学生だ。

 キースも快く応じた。ただし、ひとつの条件をつけて。それが、ベーゼンドルファーの「290インペリアル」というピアノを用意するということだった。

 しかし、なんとしたことか、会場に運ばれてきたピアノはまったくの別物だった。ベーゼンドルファーにはちがいないが、キースの望むものではない。しかも、そのピアノは直前までオペラのリハーサルに使われていたもので、調律もされていなかった。

 キースはコンサートを中止したいと申し出た。彼にとって、ピアノは体の一部分と同じ。F1ドライバーがポンコツ車でレースに出ないのと同じだ。なお悪いことに、キースは数日間不眠が続いたことによる激しい背痛に悩まされており、直前に公演を行ったチューリッヒからケルンまで約5時間もかけて車で移動していたことで体調はかなりひどかったという。

 もちろん、そのとき中止にならなかったからこそ、この作品がある。調律師が応急処置をし、ヴェラ・バランデスがキースを説得し、本番を迎えることとなった。

 キースがオペラ・ハウスのステージに立ったのは、深夜23時を過ぎていた。つまり、キースは最悪の体調とひどいピアノという悪条件下で全曲インプロヴィゼーションに挑むことになったのである。

 えてして芸術家は、最悪の条件を逆手にとることがある。目が見えなくなったモネが光を描いたように、耳が聞こえなくなったベートーヴェンが歓喜の歌をつくったように。

 前述のように、その夜の即興演奏は神々しささえ漂わせ、レコード化されるや全世界で絶賛を受けることになる。

 ところで、キース・ジャレットといえば、1984年から始まったスタンダーズ・シリーズを忘れてはいけない。ジャック・デジョネット、ゲーリー・ピーコックとのトリオによるスタンダード回帰だ。さらにクラシックにも挑んでいる。バルトーク、バッハ、ヘンデル、モーツァルト、ショスタコーヴィチなど多岐に及び、ギドン・クレーメルと共演したこともある。

 つねに新たなテーマに挑むキースは、不易流行そのものである。しかし、そんなキースも2度目の脳卒中で倒れ、再起は不可能というニュースが伝わってきた。誰もがたどる道とはいえ、すべての人に与えられた人生の持ち時間とはじつに冷厳である。

※『ザ・ケルン・コンサート』は下記にて視聴できる。

https://www.nicovideo.jp/watch/sm12045520

(1975年作品)

 

●知的好奇心の高い人のためのサイト「Chinoma」10コンテンツ配信中

 

本サイトの髙久の連載記事

◆多樂スパイス

◆海の向こうのイケてる言葉

◆うーにゃん先生の心のマッサージ

◆死ぬまでに読むべき300冊の本

◆偉大な日本人列伝

 

髙久の著作

●『葉っぱは見えるが根っこは見えない』

ADVERTISING

Recommend

記事一覧へ
Recommend Contents
このページのトップへ