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紺碧の将

安倍さん、無念

2020.08.29

 安倍総理が退陣する決断を下した。

 無念であろう。私も残念でならない。憲法改正を実現してくれるのは安倍さんしかいないと思っていただけに、ただただ残念でならない。

 総理大臣としての在籍日数は桂太郎を抜いて歴代1位。政治に100点満点はないが、国への貢献度はきわめて大きかったといえる。持病を抱えながら、体を張ってこの国のために力を尽くしてくれた。

 トランプ氏が大統領になるや、すぐに渡米し人脈をつくったことをはじめ、外交での成果は目をみはるものがあった。トップ同士の信頼関係がとても重要であることは言うまでもない。地球儀外交を繰り広げ、各国とのパイプを太くしていった。日本が外交面で今ほど存在感を高めたことはかつてなかった。

 コロナウイルス感染が始まってから、安倍さんはずっと休まず対処に明け暮れた。しかし、野党やメディアから一般の国民に至るまで、なにをやってもボロクソに批判する人がいる。以前も小欄で書いたが、代案も出さずにただ批判するだけなら子供でもできる。そんな無責任な輩が安倍さんの病状を悪化させたのは明らかだ。

「桜を見る会」などどうでもいいことを政争の具にしたのは、憲法改正など重要な議題を審議させたくない野党の策略だったが、それにまんまと乗せられた国民にも責任はある。本来なら、政敵が撒き散らしたエサに食いついてはいけなかったのだ。桜を見る会は昭和40年代から開催されている。ちょっとくらい人数が増えようが、だからなんだというのだ。

 その他の批判もとにかくひどかった。そのほとんどが虚しく、くだらなかった。とても一人前の大人がすることではないようなことばかりだった。ただ政権を批判するだけで溜飲を下げている人たちを見ると、「そんなに言うのなら一回自分でやってみろ」と言いたくなってくる。本来は、国民一人ひとりが政治を担うべき。それが国民主権である。しかし、現実的にすべての国民が国会に集まって議論することはできない。だから、一部の代表に権利を負託している。とはいえ、あくまでも主権と義務は国民一人ひとりにある。けっして政権をボロクソに批判していいというわけではないのだ。批判は自由だが、代案を携えていなければ、言葉の暴力とそしられてもしかたがないだろう。

 さて、このあとの舵取りを誰がするのだろうか。だれが総理になるにしても、またスケープゴートになるのはわかりきっている。この国の最大の問題、それは国のトップリーダーへの陰湿ないじめにある。有能であればあるほど叩かれる。もちろん、政権への批判的な眼差しは必要だ。しかし、公正な批判と排泄行為ともいえるいじめはちがう。

 安倍さんにはトランプ氏に見習って、一度でいいから本音を語ってほしかった。朝日新聞などの左翼メディアに対しては「偏った報道はするな。フェイクニュースを垂れ流すな」と。ただ批判するだけの人たちに対しては「もっと勉強しろ。そして自分の意見を言え。ただ批判するだけなのは最低」だと。事実そうなのだから。

 現状は、まさにオルテガの言う「大衆の反逆」である。大衆が反逆できる権利を持つことは大切だが、度を越した反逆は社会を破壊する暴力装置になる。

 どうすればバランスがとれるのだろう?

 

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