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紺碧の将

士農と工商

2020.07.27

 なぜか私の財布には500円札が入っている。旧デザインの紙幣を何種類か持っているが、あえてこれを選んでいる。

 なぜ?

 なんとなく岩倉具視を憎からず思っているからであり、彼の強大なパワーでいろいろなものを引き寄せてくれるにちがいないとふんでいるからでもある。

 お公家さんらしくない人だった。権謀術数を使う人というイメージが強く、そんな人がよくぞ紙幣の肖像画に選ばれたものだと思うが、やはり公正に見て、日本の近代化に大きく貢献した人である。いや、列強の餌食にならなかったのは、岩倉や大久保、伊藤たち洋行組の尽力によるものだと私は確信している。

 だれもが知っているように、明治の産声をあげて間もなく、岩倉具視を団長とする使節団が約2年間もの時間を費やして米欧を視察した。

 明治6年、使節団は予定を早めて帰国する。留守政府が朝鮮出兵を含む征韓論に傾いているという報せが届いたからだ。欧米諸国の科学技術の進歩を目の当たりにし危機感を強めた洋行組にとって、征韓論など言語道断である。西郷隆盛を使節として朝鮮に派遣すると閣議で決まったが、それがきっかけで戦端が開かれる可能性がある。断じて、それを阻止するという岩倉たちの決意はかなりのものだった。

 それが「明治六年の政変」に進展する。西郷はじめ板垣退助、江藤新平、後藤象二郎、副島種臣ら留守政府の中枢がこぞって明治政府を辞めるのだ。ともに維新をなしとげた、いわゆる同志であったのに、なぜ、袂を分かつことになったのか。

 ひどくおおざっぱに言ってしまえば、国家づくりに関して、留守組は士農工商の士農に重きを置き、洋行組は工商に置いたということだと思う。米欧の実態を見ていない留守組からすれば、「従来どおり、士族や農民が中心の国づくりを進める」と考えるのは当然かもしれない。事実、明治維新は士族によって実現された。また、当時は石高が経済力を示す基準であり、農事は神事の一部という観点からも農業は産業という枠を越えた日本の重要な産業だという認識があった。

 しかし、洋行組にすれば、そういう価値観は美風ではあるが旧弊であるとも映っただろう。そんなことにこだわっている場合じゃない。一気に殖産興業を図り、軍備を整えなければ、列強に侵略されてしまうという強烈な危機感を抱いていたはずだ。

 洋行組も留守組も、懸命にこの国の未来を考えていたはずだ。使命感は、現在の政治家と比べるべくもない。彼らには、自分たちの双肩に国家が載っているという認識があった。だから留守組を断罪する気にはなれない。ただ、百聞は一見にしかずの言葉通り、世界情勢を知らなかったというのは致命的でもある。あの時点で留守組が政府を去り、その後の士族の反乱を鎮圧することによって新国家体制の端緒が開かれたというのはきわめて理にかなった流れであると思う。

 とはいえ、どうしても洋行組は分が悪いんだよなあ。基本的に、この国でリアリストは評判が悪い。どうしても勝ち組になってしまうし。日本人は、政治家がなにをしたかではなく、「どんな人か」を情緒で判断する傾向が強いし……。

 せめて私はそういう観点ではなく、冷厳に歴史を見つめられるよう、学び続けたい。

 

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(200727 第1010回)

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