多樂スパイス

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紺碧の将

成熟と老い

2020.07.23

 前回、孤独と孤立について書いたが、今回は成熟と老いについて。

 どうやらこの国ではアンチエイジングが行き過ぎたようで、成熟することも老化の一種とみなされているように感じるのは私だけだろうか。

 ある知日派の外国人が、「ニッポン人は未熟なものが好きだ」と言った。アイドルグループや高校野球が人気を博しているのを見て、そう思ったようだ。たしかに、年端のいかない何十人もの女の子が揃って歌い、踊るというグループに熱中するオジサンたちを見て、「?」と思っていた。若くて溌剌とした女の子たちを見るのは目の保養にはなるのだろうが、ただ若いからというだけであそこまで熱狂できる感覚がまったく理解できない。

 ま、いいか、人のことは。

 私は成熟したものが好きだ。芸術や職人の手業もそうだが、人間そのものについても同様。経年によって劣化するのではなく、時とともに磨かれていくものを愛する。

 それは自分のことにもあてはまる。昔に戻りたいと思ったことは一度もない。「学生時代は楽しかったなあ」とか「子供の頃に戻りたい」などと言う人がいるが、子供の頃や学生時代に戻るなどまっぴらごめんである。10年前でさえ嫌だ。なぜなら、10年前の未熟さを自分自身がよく知っているから。もちろん、今でも未熟だが、少なくとも私という人間の歴史のなかで、現在がもっとも進化しているのは間違いない。それにともなって幸福度も上がっている。

 口癖のように言っている「すぐに得たものは、すぐに失われる」というのは、成熟する前に実ったものは本物ではないから、価値を失うのも早い」ということでもある。

 では、老いについてはどう思うのか。

 答えはいちがいに言えない。

 自分の生を燃やし続けての老いであれば、美しいと思う。使い込まれた道具が美しいのと同じように……。いっぽう、貴重な時間を無駄に過ごし、生の輝きを失ってしまった結果の老いは、そうではない。ふと周りを見ると、歳を重ねてなお魅力が増している人と、時とともに落魄している人に分かれていることに気づく。

 では、その両者を分ける分水嶺はなんであろうか。

 好奇心と柔らかい心ではないか。特に知的好奇心は若さを保つ原動力になる。本ブログが掲載されている「Chinoma」は〝知の間〟を意味し、「知的好奇心が高い人のためのサイト」を標榜している。いつも知的好奇心で目を輝かせている人は魅力的だ。

 頭の柔らかさも問われる。特に男性は気をつけなければいけない。どうしても歳とともに、自分の考えに固執するようになるからだ。頭がカチンコチンになったら、醜い老境に入った証拠と思った方がいい。そうならないためにも、世の中にはいろいろと自分が知らないことがあり、さまざまな考え方があることを学ぶ必要がある。本来は、学べば学ぶほど、自分が未熟であることに気づかされるはず。ある時点で考えが固執(=停止)してしまうのはもったいない。

 ――人も物も、古くて新しいものは内面から神々しい光を放つ。若さとは年齢ではなく年輪のかたち。

 と本サイト「ちからのある言葉」に書かれている。

 その通りであろう。

 

本サイトの髙久の連載記事

◆海の向こうのイケてる言葉

◆うーにゃん先生の心のマッサージ

◆死ぬまでに読むべき300冊の本

◆偉大な日本人列伝

 

髙久の著作

●『葉っぱは見えるが根っこは見えない』

 

お薦めの記事

●「美しい日本のことば」

今回は、「雲の鼓」を紹介。雲に鼓とくれば、鬼。「風神雷神図屏風」の雷神が浮かびませんか。そのとおり、「雲の鼓(くものつづみ)」とは「雷」のこと。雲にのって現れた鬼神は〜。続きは……。

https://www.umashi-bito.or.jp/column/

(200723 第1009回)

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