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紺碧の将

人間の善意について

2020.06.25

 性善説と性悪説がある。「論語」や「孟子」は性善説で「荀子」は性悪説と言われる。

「髙久さんは性悪説ですよね」と言われることがある。自分でもそう思ってきた。若い頃に読んだフランス文学の影響が強かったから。しかし、最近は認識を新たにしている。そのほかの多くの場合と同様、どちらとも言えないと思うようになった。すべては陰と陽、どちらか一方ということはない。

 人間は誰しも善なるものと悪なるものを併せもっている。どちらが優位になるかはそのときの状況次第。ナチスを含め、人類史には多くのジェノサイド(大量虐殺)があるが、ふだんは善良な人間が手を下している場合も少なくない。自分は善良だと堅く信じていても、状況が変われば簡単に変わってしまう。人間とはそういう生き物だ(と思う)。

 それでも、人間の善なる部分を見、信じていたいという気持ちはある。生まれてから61年間で会った人のほとんどは善良な人だった。人間の善なる部分を信じずに、いったいなにを信じろというのか、と。

 ところが、最近はそうとばかりも言っていられないと思うようになった。はなから人間の善意を信じるのは無理があるし、社会にとっていいこととは限らないのではないか、と。

 というのは……。

 気づいた人はいないと思うが、先月、弊社のオンライン・ショッピングの支払い方法を変えた。郵便払込用紙による「後払い」をなくしたのだ。はじめから支払う意思がない人があとを絶たないからだ。けっして多くはないが、一定の割合でいる。最近は、確信犯というか、まとめ買いをして支払わない人もいる。数万円の回収をするため、法的な手段を講じる会社はないと見くびっているのだろう。督促状もメールも無視、電話は着信拒否にする。

 本を買う人に悪人はいないと思い、「後払い」を選択肢に入れてきたが、会ったことのない人をはなから信用するのは、悪を助長することにもなりかねないと思った。会社の机の上に一万円札を置き忘れて、翌朝出社してみたらなくなっていたという場合、だれが悪いかといえば、置き忘れた人だというのと同じこと。

 ここで日本国憲法を思い出す。前文には「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生命を保持しようと決意した」と明記されている。

「平和を愛する諸国民」というが、具体的にそんな国はあるのだろうか。周りを見渡せば、中国や北朝鮮やロシアなど、どう見てもそうは思えない国々ばかりだ。「平和を愛している」とは思えないし、「公正」「信義」だとも思えない。現実からまったくかけ離れた理想を頑なに信じ込んでいることがはたしていいことなのかどうか。国民の生命と財産を引き換えにしても守るべき理想なのだろうか。

 

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(200625 第1002回 写真は明治神宮のシイノキ。まるで人間の足のよう。本文とは関係ない)

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