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紺碧の将

「わからない」を発酵させる

2020.06.04

 はたして人間は進歩しているのか、とときどき思う。

 私の答えは、「進歩していない」、いや正しくは「進歩しているところもあるが、後退しているところもある」。

 科学の進歩は目覚ましい。まさに日進月歩。ついていくだけで目眩がしそうだ。

 しかし、科学の進歩は現代人だけの成果ではない。これまで命をつないできてくれた先人たちの智慧の積み重ねが、たまたま現代において花開いただけ。だから、科学の進歩だけをもって人類が進歩しているとするのはどうかと思う。

 では、後退しているところは?

 考える力だろう。パスカルが言っているように、人間は考えるからこそ他の動植物と一線を画してきた。その力が近年、雪崩を打ったように減退している。

 なぜか? 答えは明白だ。

 歩かなければ足腰が弱くなるように、考えようとしなければますます思考力は落ちる。

 なぜ考えようとしなくなったかといえば、考えなくても済むように、さまざまなものを先回りして提供してくれるからだ。とても便利であり、おせっかいでもある。もちろん、そこには商業的な意図がある。人間はナマグサだから、便利なものには弱い。「これはこんなに便利ですよ」と言えば、即座に売れる。スマホの普及によって、便利さを追い求めるスピードが加速度的に上がっている。知りたいものを検索すればすぐに答えが出てくる。

 私は、便利さもそこそこ好きだが、「おせっかいなんだよ!」と悪態をつきたくなることもある。便利さは、多くの場合、人間の活力を奪っている(と思う)。例えば、老眼鏡をかければ細かい文字がはっきり見えるのはわかるが、なるべく自分の目で読みたいと思うし、視力を維持するため、あえて老眼鏡は買わない。私はもともと視力が良く、周りからは40歳くらいで老眼になると断言されたが、61歳の今も細かい字を裸眼で読んでいる。ハズキルーペのコマーシャルを見てもまったく心を動かされない。

 かれこれ7,8年、毎朝禅語を書いているが、とりたてて意味を調べたりしない。例えば、「橋は流れて水は流れず」と書きながら、どういう意味なんだろうと考える。でも、答えは出ない。

 それでいいのだ。そのうち、雲間から太陽が姿を現すようにわかる時がくるかもしれないし、わからなくてもいい。言葉を玩味しているうちに、心身はなんとなく答えを得ているのではないかと思っている。

 草花の名前を覚えたいとは思うが、スマホで写すだけで名前がわかるアプリなどはけっして使いたくない。すぐにわからなくていいのだ。いや、すぐにわからない方が相手の魅力が増す。

 私はすぐに答えを求めない。「なんだろう?」と考えることが好きだ。どうしてこういう形をしているのだろう? どうしてこの人はこういう言動をしたのだろう? と。

 常々言っている。「すぐに得たものはすぐに失われる」と。ほんとうにその通りで、労せずして得た答えは、記憶に残らない。瞬間的にわかったような気になるが、数秒後には消えている。それはそうだろう。本人がその答えを渇望していたわけではないのだから。一方、長い間、答えが欲しかったものが解決した時の喜びは格別のものがある。「わからない」を発酵させてきたご褒美である。

 ただし、すぐに答えの出る便利なものを全否定しているわけではない。例えば、原稿を書いていて、すぐに正しい名称を知りたいとなどといった場合は躊躇なく調べる。

 要は、バランスの問題なのだ。便利だからといって盲目的に依存することは、自ら楽しみを放擲しているのと同じことだ。

 

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(200604 第997回 写真は元宮大工棟梁の小川三夫氏からいただいたもの。表面にかけてあるものは、鉋の削り屑。本文とはあまり関係ないかも)

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