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不平等条約を改正させた偉人の旧邸宅

2020.03.27

 台東区根岸に、陸奥宗光が住んでいた家がある。明治16(1883)年頃に建てられたコロニアル様式の洋館で、現存する洋式住居としては都内でもっとも古い建物のひとつだという。

 あるとき、その洋館の前に地元の有志たちの寄付によって案内板が設置されたという新聞の切り抜きが、足元に落ちた。スクラップ記事をファイルしているところから、一枚だけ落ちたらしい。

 これはすぐに行けという天からの啓示だと認識し、さっそくのこのこと出かけた。私はそういう偶然を重要視する人間だ。

 

外壁を蔦が這い、建物は朽ちかけていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、「ここに、あの陸奥宗光が住んでいたのか」と感興をそそるにはじゅうぶんの佇まいだ。

 今から18年ほど前、『fooga』という雑誌を創刊した頃、私は本名のほか、ふたつのペンネームを使い分けていた。ひとつは五大陸寿太郎、もうひとつは佐久良宗光。寿太郎は小村寿太郎のそれで、宗光は陸奥宗光のそれである。ふたりとも明治時代に生きた外交官で、私にとってはヒーローだ。

 小村は「ねずみ公使」と呼ばれるほど痩せ型の短躯で、貧乏を絵に描いたような風貌だが、日露戦争時のポーツマス講和会議をなしとげた偉大な男、いっぽう陸奥は「カミソリ大臣」と異名をとり、長年の懸案だった欧米諸国との不平等条約を改正させた人物である。学校の教科書にはほとんど出てこないためか、多くの日本人はふたりを知らないが、残念なことだ。今、自分がここに生きているのは誰のおかげか、それを強く認識するうえでも偉大な先人たちを顕彰する義務がわれわれ現代人にはあると思うが、ふたりとも久しく顕彰されるべき人物である。

 陸奥宗光の最後の住まいはここではなく、西ヶ原にある旧古河庭園。ここ根岸の館は、外交官として華々しい活躍をする以前の住まいだ。陸奥は明治17年から19年までイギリスに留学するが、その留守中、妻と子供たちはこの館に住んでいた。

 

陸奥宗光の妻といえば、「鹿鳴館の華」とも「ワシントン社交界の華」と呼ばれた亮子である。日本赤十字社正社員で、類まれな美貌と該博な知性によって夫をもり立てた。外交官にとって、妻の役割は絶大である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

陸奥宗光を知るには、岡崎邦彦の『陸奥宗光』が最適。ちなみに、同じシリーズで『小村寿太郎』という本もある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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(200327 第980回)

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