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紺碧の将

成長の秘訣、西岡常一の言葉

2020.01.11

 

 昨年、元宮大工棟梁・小川三夫氏の鵤工舎を訪れた際、小川氏が独立するにあたって師の故西岡常一からもらったという書状を見せてもらった。西岡常一は「法隆寺の鬼」と言われた稀代の名大工で、彼の唯一の内弟子が小川氏である。

 書状にはこう書かれている。

 ――鵤工舎の若者につぐ 親方に授けらるべからず 一意専心親方を乗りこす工夫を切さたくますべし 之れ近道文化の心随なり 心して悟るべし 法隆寺薬師寺寺社番匠大工 西岡常一

 

 あらためてここに書かれた文言を噛みしめる。ここには学びの要諦が書かれている。「親方に授けらるべからず」ということは、上司に教えてもらうのではなく、自ら工夫して学べということだ。自分で創意工夫して親方を乗り越えろ、と。それが近道だという。

 いまはなんでもかんでも手取り足取り教え、わからないことがあっても答えをすぐに得る方法がある。しかし、渇望していない状態でいくらいいものを授けても、身にはつかない。

 高校の修学旅行で法隆寺を仰ぎ見て、宇宙飛行士になるより宮大工になりたいと思った小川三夫少年は(当時、アポロ11号が月面着陸を果たし、話題になっていた)、高校を卒業するとすぐに奈良へ向かい、弟子にしてほしいと西岡常一に直訴する。

 しかし、雇うほどの仕事はないと西岡は突っぱねる。その後、内弟子として迎え入れられるのは3年後のことである。

 内弟子となった小川さんについて、西岡棟梁は『法隆寺を支えた木』(西岡常一・小原二郎 NHKブックス)にこう書いている。

 ――人間の執念とはおそろしいものです。一人前の宮大工になるのには、20年かかるといわれているのに、その半分の10年間で、独り立ちできるまでに成長しました。小川君の異常なまでの努力精進があったことはいうまでもありません。

 小川君がわたしの家に寝起きしながら修業していたころのことです。わたしがひと寝入りした真夜中、物音に気づいて、裏の納屋に行ってみると、小川君でした。わたしに「屁みたいな研ぎしおって」といわれたのがくやしいと、寝る間もおしんで研ぎにはげんでいたのです。

 

 そして小川さんは一人前の宮大工になる。

 しかし、ずっとある疑念があった。こんなにも崇高な仕事なのに、満足に食べていけないとはどういうことだ? これでは継承者も途絶え、日本の寺社建築が廃れてしまう、と。

 そこで彼は師のもとを離れ、鵤工舎を立ち上げ、「食える宮大工集団」を目指す。

 それから53年経た現在、小川氏は経営を息子に託しているが、従業員はつねに30人を超える。仕事の依頼は途切れず、5年後まで予定が埋まっているという。

 相変わらず、弟子たちに技術的なことを教えることはないという。ただいっしょに生活し、刃物を研げと言う以外、なにも教えない。だから入ってきた若者は先輩たちの仕事ぶりをつぶさに見、時間をかけて身につけていくしかない。

 効率最優先の現代において、なんとまどろっこしいやり方かと思う。教えれば3時間で済むところを、教えないばかりに1週間も2週間もかかってしまうのだ。

 しかし、じっくり覚えなければ身につかないこともある。否、学びとはそういうものだろう。すぐに得たものはすぐに失われる。そういう真理を、西岡常一は直感的に理解していたのだ。

 あらためて偉大な人だったと思う。

 

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