第14回タカタラ賞、発表!
世はデジタル化が進む一方だが、意外にも書道人口は減っていないようだ。もちろん、全体からみればきわめて少数派にはちがいないが、世の流れとは一線を画した愛好家が一定程度いて、減っている様子がない。日本人のDNAのなかに「墨と筆を使って文字を書きたい」という願望が組み込まれているのではないだろうか。
かく言う私も書は好きだ。もともと悪筆であったため、上達にはハードルが高いが、毎朝約1時間、いろいろな字を手本にして写している。禅語を書き、西行や貫之や芭蕉や晶子らが詠んだ歌や句を書き、それから心を鎮めて書に向かう。そのひとときが心地良い。
さて、今回は読売書法展からタカタラ賞を発表したい。
なんと応募総数は12,963点で、入賞・入選は9,126点(70.4%)。毎度のことながら国立新美術館と東京都美術館での同時開催であった。
2館とも足を運んだが、数が多いのなんの。じっくり見て、読んで、これはと思ったものを撮影して、自宅に帰ってから画像を加工し、書かれている文字をワードに記すのは案外の体力を要す。文字が判読できなければ調べたりもする。しかし、その一連の作業が楽しい。
以前は独立書人団の作風に代表される、アートとしての少数字書に惹かれていた。『fooga』や『Japanist』でも多くの書家を取材し、紹介した。しかし、いまは仮名書と呼ばれる、かな混じりの書に惹かれている。
書は伝統に縛られている堅苦しい芸ごとだと思っている人もいると思うが、まったくさにあらず。自由度が高く、ある意味革命的でさえある。
なにがすごいって、そこで使われる漢字(変体仮名)は、本来その字が持っている意味を無視されていることが多い。私のように文筆をなりわいにしている者からすれば、めちゃくちゃともいえる。
例えば、若山牧水の歌の一部に「いまか極みに来にけらし」という一節があるが、ある書家はこう書いた。
い万可極三二来二けらし
要するに、全体のバランスを考慮してひらがなにするか、あるいは変体仮名を用いるか、判断しながら書いているのである。意味よりもデザインを重視している。これぞアートの極み。
さて、多くの作品のなかで、今回選んだ作品は……。
黒田賢一「暁のさ霧にぬるるさだめにて今こそにほへ雨の花原」(斎藤茂吉の歌)。太い線と細い線のバランスが秀逸で、直線が有無を言わせぬ強さを有している

日比野博鳳「風渡る鴨の川原の柳陰うちなびきても涼むころかな水鳥の鴨の川風ふきにけりいくらかの袖か涼しかるらむ(香川景樹の歌)。全体における文字の配し方が絶妙

田中徹夫「山聳ゆ海よこたはるその間に狭しま白し夏の砂原」。黒田氏と同様、筆致が力強く、小気味よい

吉澤大淳「猿劇」。猿劇とは『西遊記』のこと。いかにも孫悟空のごとく天衣無縫である

野田正行「鶯の声に桜ぞちりまがふ花のこと葉を聞くここちして」西行の歌)。もともと北面の武士だった佐藤義清が出家して西行と名乗り、諸国を行脚しながら歌を詠んだ。当時は命懸けの行為だった。その覚悟が伝わってくる
(260907 第1334回)
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