音楽を食べて大きくなった
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紺碧の将

清風明月を拂い、名月清風を拂う

file.032『ベルガマスク組曲』C.ドビュッシー

 40代のはじめ頃、どうしたら短い時間で執筆モードに入れるか、あれこれ試したことがあった。ふと、生き物としての条件反射をうまく活用しようと思いたった。ある風景や香りが特定の記憶や心象を瞬時に惹起するのと同じように、ある曲を聴いたらすぐに執筆モードに入れるのではないかと。

 言葉を邪魔せず、独自性があり、シンプルで完成度が高いという条件に従って何曲かリストアップし、最後にドビュッシーの「ベルガマスク組曲」を選んだ。

 以来、朝書斎に入るや、来る日も来る日もこの曲を流し、数秒で執筆モードに入れる訓練をした。そのおかげか、この作品の冒頭を聴くだけで私の創作脳にスイッチが入るようになった。

 

「ベルガマスク組曲」は1890年頃に書かれたドビュッシーのピアノ独奏曲で、「プレリュード」「メヌエット」「クレール・ドゥ・リュヌ」「パスピエ」の4曲で構成されている。ドビュッシーは印象派と称され、クールで難解と思われているが、この組曲はかの有名な「月の光」を含んでいることもあって、人気が高い。

 タイトルの由来については諸説ある。有力なひとつは1884年、ローマ賞の報奨金でイタリアへ留学したときに着想を得たという説。彼が訪れたイタリア北部のベルガモ地方には、「ベルガマスカ」という舞踊がある。

 もうひとつの有力な説は、ポール・ヴェルレーヌの詩集『艶なる宴』に収録されている詩「月の光」の一節に使われている言葉(現われたる艶やかな仮面喜劇者たちとベルガモの踊り子たちは)という説。〝文学士〟ドビュッシーならかくありやと思わせる。

 では、曲を聴いていこう。

 1曲目の「前奏曲」の冒頭はじつに魅力的な旋律だ。ピアノの端から端まで使った大胆な運指が紡ぎ出すおおらかな調べに、一気に引き込まれる。それからきらめくような繊細なメロディーがたち現れ、フランスらしい情緒を醸す。

 次の「メヌエット」は小気味いいスタッカートが印象的。軽快さと繊細さのコントラストが絶妙で、終盤に転調するところはまるで人間の心の揺れ動きのよう。

 この組曲の心臓部は、続く「クレール・ドゥ・リュヌ」だということに異論を挟む人はいるまい。クレール・ドゥ・リュヌを日本語訳にすると「月の光」となる。ドビュッシーの作品のなかでも最も有名であり、単独での演奏機会も多い。西洋では月を不吉なものと見る傾向があるようだが、この曲のイメージは清澄である。まさに禅の境地でいう「清風明月を拂い、名月清風を拂う」のよう。曲のほとんどがピアニシモで演奏される夜想曲で、繊細な曲想である。

 最後の「パスピエ」は、17~18世紀にフランスで踊られていた古典舞曲のこと。もともとこの曲は、パヴァーヌ「並んで行進するための行列舞曲」として作曲された。同じ舞曲でも、「メヌエット」の軽妙さとはひと味異なる。

 全部で20分弱の短い組曲だが、集中して聴くにはほどよい長さだ。

 私が聴き慣れている演奏は、パリ生まれの女性ピアニスト、モニク・アースのもの(1970―71年録音)。心の襞をそっと撫でるような、ナイーブでセンシティブな音に魅了される。

 もう1枚は、ダイナミック・レンジをうまく表現するアレクシス・ワイセンベルクの演奏。交互に聴くと、この作品を立体的にとらえることができる。

 

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