音楽を食べて大きくなった
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紺碧の将

宇宙のような広がりと緻密な調べ

file.001『平均律クラヴィーア曲集』J.S.バッハ

 移動中はいつもウォークマンをシャッフルで聴いている。収録されているのは全部で約1600曲。ジャンルはごちゃまぜ。次にどんな曲が聞こえてくるのかわからないから面白い。

 大半が、最初の音だけで瞬時に曲名がわかる。と同時に、懐かしい人に会ったかのような安堵の混じった郷愁を覚える。私がこれまで生きてきたなかで心と心の交誼を結んだ、ときどきの節目に重要な役割を果たしてくれた人たちに道端で再会したかのような感興と言えばいいのか。心のなかにポッと温かいものが灯るような感覚とでも言おうか。そのたびに思う、音楽はかけがえのない友人だ、と。

 言い換えれば、その1600曲は私が好きな曲のベスト・オブ・ベスト。残念ながら、ウォークマンに収録されなかった曲たちからすれば、破格の高待遇を与えられているに等しい(ときどき入れ替えはするが)。

 ベスト・オブ・ベストのなかの1曲を選べと言われれば、バッハの「平均律クラヴィーア曲集」か「ゴールドベルク変奏曲」になるだろう。いずれも耳に何重ものタコができるくらい聴き込んだ。にもかかわらず、どんなに聴き込んでも飽きのこない、不動の位置を占めている。

 バッハがいちばん好きだとかピアノ曲がいちばん好きだというのではない。たまたまこの2曲が特別で、甲乙つけがたいのだ。ここではまず、「平均律クラヴィーア曲集」をあげたい。

 この曲は「集」とあるように、ひとつの曲ではない。厳密にいえば、12の調性✕それぞれ長調と短調(ハ長調、ハ短調、嬰ハ長調、嬰ハ短調、ニ長調、ニ短調、変ホ長調、変ホ短調、ホ長調、ホ短調、ヘ長調、ヘ短調、嬰ヘ長調、嬰ヘ短調、ト長調、ト短調、変イ長調、嬰ト短調、イ長調、イ短調、変ロ長調、変ロ短調、ロ長調、ロ短調)✕ それぞれ前奏曲とフーガ ✕ 全2巻、つごう96曲で構成されている。

 バッハの11歳の息子フリーデン君の練習のために作曲された。「え? これが子供のための練習曲?」

そうなのだ。昔の子供は大人扱いされていた。24の長調と短調の調性感覚を身につけるため、意図的にそのような構成にされという。

 今でこそ「人類の遺産」のような扱いを受けている曲集だが、じつはバッハが死んでから32年後、26歳のモーツァルトが、ある楽譜収集家のライブラリーでこの楽譜を見つけたといわれる。モーツァルトは作曲のみならず、人類の遺産をも救ったのだ。その後、メンデルスゾーンによってバッハの偉業の全容が明らかにされるまで、一部の人にしか知られていなかったというのが嘘のようだ。

 19世紀のピアニスト、ハンス・フォン・ビューローは、この曲を「ピアノの旧約聖書」と称揚した(ちなみに新約聖書はベートーヴェンの32曲のソナタ)。

 この曲集はポリフォニー(多声音楽)の極みだ。ポリフォニーとは複数のメロディー(声部)が同時に進行する形式である。1台のピアノのための曲なのに、時に2つ、あるいは3つ、4つもの主題が絶妙に交差しながら進行する。あたかもさまざまな動きの惑星が、全体の秩序にのっとって動いているかのように。その遠大さ、雄大さは聴き込んだ者でなければわかるまい。

 聴けば聴くほど心身に染み込んでくる。みずみずしい潤いと活力が自分の細胞に沁み渡ってくれるのがわかる。ただの音の連なりなのに、どうしてこんなに心に響くのだろう?

 ずっとグールド盤だけを聴いていたが、ほかにもいろいろな演奏を聴きたいと思い、いくつか買い求めた。グルダ、バレンボイム、リヒテル、コープマン、メジューエワ、アファナシエフ……。もちろん、基本となるのはグールドであることに変わりはない。チェンバロ的な趣きを出すためか、スタッカート風に淡々と表現しているが、にもかかわらず単調に陥っていない。やはりグールドは別格だ。比類がない。一音一音にバッハの魂が宿っているかのようだ。ほかにお気に入りはグルダとバレンボイム。

 この曲集についてもっと知りたいと思い、楽譜を手に入れた。もちろん、私はすらすらと楽譜を読むことなどできないのだが、ときどき音を聴きながら譜面を追いかける。この曲集はポリフォニーの極みだと書いたが、楽譜を追いながら聴いていくと、あたかも多くの登場人物が複雑に絡み合う小説のように感じる。

 96曲の〝色合い〟は統一されているが、異色の曲がある。第1巻のロ短調前奏曲。薄紅色の梅のように繊細な美しさに満ちている。なんと、十二音音楽で書かれているのだ。十二音音楽とはのちにシェーンベルクが確立したもので、1オクターブ12音すべてが平等で、一度表れたら全部の音が出るまで表れないという規則がある。通常の調性音楽は、主音を中心にそこから発する音階(ヒエラルキー)でできているが、民主主義のようにすべての音に出番があるのだ。

 この曲集が人類の遺産であるという証拠をあげよう。1977年、地球外生命体へ向けて宇宙へ飛んだボイジャー号に、この作品が積み込まれているのだ。つまり、人類の文化遺産として選ばれたということ。グールドによる第2巻のハ長調の前奏曲とフーガのレコードがそれだ。

 もし、地球外生命体がボイジャー号と遭遇し、この曲を聴いたとして、彼らはこの曲に対してどのような印象を抱くだろう。案外、すんなり受け止められるような気がする。「いいんじゃない、この音楽」と。ちなみに、この曲をボイジャー号に搭載しようと提案したのは、日本人(宇宙物理学者の佐治晴夫氏)である。

 ところで、「平均律クラヴィーア」とは正確な日本語訳ではない。英語では〝The Well Temperd Clavier〟つまり、よく調律されたクラヴィーアとあるだけで、平均律で調律されたとは書かれていない。だれが訳したか知らないが、「よく調律された」のであれば「平均律にちがいない」と思ったのだろう。本来、和音が美しくなるよう調律するのであれば、純正律以外にない。しかし、それだと自由に移調や転調ができない。純正律で調律すると弾ける曲が限られてしまうのだ。そこで和音が多少濁ってもいいから、一台のピアノですべての調性が弾けるように調律されたのが平均律である。だから、バッハの時代の音楽家が現代のピアノを聴いたら「音が狂ってる!」と言うにちがいない。音楽通の友人は「平均律でなく妥協律」だと言ったが、言い得て妙だ。

 この曲集は宇宙のような広がりと緻密さを併せ持っている。おそらく一生聞き続けるだろう。それでも全体像はつかめないにちがいない。

 がっぷり四つに組む相手として不足はない。

(201216 第1回)

 

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