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紺碧の将

母の面影と心の機微を追い求めた小品

file.063『亡き王女のためのパヴァーヌ』M.ラヴェル

 たまには短いクラシックの曲について書いてみよう。

 と思って選んだのは、ラヴェルが1899年に作曲したピアノ曲、『亡き王女のためのパヴァーヌ』。長さは7分ていどだ。ラヴェルはその11年後、オーケストラ曲として編曲しているが、ピアノ曲の方が断然いい。

 しっとりと憂いを帯び、どこかノスタルジーを感じさせる。この曲を聴くと、ラヴェルは室内楽向きの作曲家だったと思う。

 ディエゴ・ベラスケスが描いた、スペインのマルガリータ王女の肖像画をルーブル美術館で見たことによって着想を得たと言われている。ベラスケスと聞けば、人類史に残る大傑作、プラド美術館にある『ラス・メニーナス』が思い浮かぶ。本題に入る前に、ちょっとだけその絵について。

 マルガリータ王女を中心に、まわりに女官たちが取り巻き、右側には老嬢人や犬、左側には大きなカンヴァスに絵を描いている画家が立っている。画家は国王夫妻を描いているのだが、はたして国王夫妻はどこにいるのだろう。

 じつは、この絵を見ている私たちの目線と国王夫妻が目にした光景は同一なのである。マルガリータ王女の背後に掛けられている鏡に国王夫妻が映っていることでわかる。マジックのような仕掛けに驚くばかりだ。余談ながら、ピカソはこの作品をいたく気に入ったようで、何十枚も模写している。もちろん、ピカソ風の模写ではあるが……。マドリッドで『ラス・メニーナス』を、バルセロナでピカソの模写も何枚も見たことがあるが、表現方法はまったく異なるものの、天才たちをつなぐ回路を見た思いである。

 話がそれてしまったが、ベラスケスが描いた多くのマルガリータ王女像の1枚にインスパイアされ、ラヴェルがこの世にも稀なピアノの傑作を生み出したのだから、芸術の連鎖反応の妙に感心しないわけにはいかない。

 パヴァーヌとは、16世紀から17世紀にかけてヨーロッパの王侯貴族の間で流行していたダンス(舞踏)のことをいう。

 マルガリータがスペインの王女だったことでもわかるが、この曲の背景には、スペインが色濃く反映されている。じつは、ラヴェルの母はスペイン人だったのだ。ラヴェルは幼少の頃から母が口ずさむスペイン民謡を聴きながら育った。なるほど、ラヴェルには、『ボレロ』や『スペイン狂詩曲』など、スペインを題材にした作品が数多くある。ラヴェルはフランス人だが、いつしか最愛の母の思いがスペインの調べと重なるようになったとしても不思議ではない。

 24歳のとき、パリ音楽院在学中に書き上げたこの曲は、フランスらしいクールさを湛えながら、情緒豊かで感傷的な曲調となっている。

 ラヴェルは人前で、この曲をさほど評価していなかったようだが、晩年、交通事故で記憶を失った彼は、たまたまこの曲を耳にし、「この美しい曲はだれの曲なんだい?」と言ったというエピソードがある。

 この曲の基本調性はト長調だが、長調と短調が入り混じっている。これは「調性」の概念がまだなかった時代、教会で聖歌を歌っていた時代に用いられていた「教会旋法」という手法で書かれているという。そのため、どこか軸の定まらない、フワフワした印象が漂っている。それは、瞬時に揺れ動き続ける人間の感情にも似ている。この曲を聴くと、妙に懐かしさや憂愁を覚えるのは、そのような背景があるのかもしれない。

 では、だれの演奏がいいか。私が好んで聴いているのは、フランス人のモニク・アース、そして小山実稚恵(写真)の演奏である。いずれも一音一音ていねいに音の感情を紡いでおり、後者は力強さも加わっている。

 オーケストラ版は、ときどき小澤征爾指揮、水戸室内管弦楽団の演奏を聴くが、前述のように、私はピアノ版の方がはるかに好きだ。

 

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