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紺碧の将

成型から逸脱した、永遠の少年

file.050『BLUE』RCサクセション

 1970年代後半、クリエイションというバンドのコンサートに行ったことがある。その頃、クリエイションの人気は下火になっていて、前座の演奏が始まるとき、客席はまばらだった。

 前座のバンドはなにやら奇妙な出で立ちだった。会場を見るや、「ガッラガラだぜーい!」とやけくそな雄叫びをあげ、演奏を始めた。

 そのバンドこそがRCサクセションだった。

 その数年後、彼らの名は全国にとどろき、忌野清志郎は時代の寵児となった。「へぇ〜、あのときの、ヘンテコリンなヤツがねぇ」と妙に感心した。

 日本のロックはほとんど聴かない私だが、RCサクセションは贔屓のバンドである。なかでも『BLUE』はもっとも好きだ。

 高度経済成長を経て、日本人の暮らしは右肩上がりに良くなったが、いっぽうで、長らく「規格大量生産による加工貿易立国に適した人材」が求められてきた結果、金太郎飴のように〝みんなが同じ〟ようになってしまった。もともと日本人は均質化する傾向にあり、それはそれで社会の安定には寄与するが、面白みに欠ける社会になりがちだ。事実、このレコードの帯には「このタイクツな国に〜」というようなコピーが踊っていて、私は大いに共感した。

 

 重量感のあるドラムが印象的な「ロックン・ロール・ショー」で幕を開ける。肚に力のこもった清志郎の声もドラムのハイハットも仲井戸麗市(チャボ)のギターリフも、ぜんぶかっこいい。「役立たずの神様 ハードロックが大好き」という歌詞は清志郎ならではのセンス。成型された音楽にはない、生の躍動がある。

 続く仲井戸の「Johnny Blue」は、これぞロックの本道。ノリがいい。そして、3曲目の「多摩蘭坂」。清志郎にバラードは似合わないが、この曲はしんみり訴えかけてくる。タイトルは都内の三多摩地区にある、なんてことのない坂だが、一躍〝観光名所〟になってしまった。

「ガ・ガ・ガ・ガ・ガ」は、タメの効いたリズムと歪んだギターが魅力。RCサクセションがみごとなR&Bバンドということを証明している。こんなタイトル、だれも思いつかない。続く「まぼろし」は、自殺した清志郎の同級生を歌った曲で、ヒリヒリするような切実感がある。

「チャンスは今夜」はチャック・ベリー風のR&Bナンバーで、初めて仲井戸がリードヴォーカルをとった曲。20代前半、筆者はバンドを組んでいたが、この曲をコピーした覚えがある。歌が清志郎じゃないから、気楽にチャレンジしたのだが……やはりサマにならなかった。

 続く「よそ者」は、地味な曲だが飽きが来ない。清志郎はずっと社会のよそ者だったが、それと引き換えに熱烈な共感者もいた。

 最後の「あの娘のレター」はシングルカットされる予定だったが、歌詞のなかの「ポリ公」がレコ倫のコードに引っかかり、リリースできなかったといういわくつき。骨太のベースラインが忘れられない。余談だが、あの頃の警察官はむやみに威張っていたから嫌われていたが、今の警察官はおしなべて優しいし丁寧だ。隔世の感がある。

 ……と、駆け足で全曲を追ったが、CDではボーナス・トラックとして「ボスしけてるぜ」と「キモちE」が入っている。前者はその後の清志郎の方向性を示すもの。テクノビート風だが、凡百のつくりではない。後者は疾風怒涛のドライブ感がいい。ほんとに、キモちE!

 

 RCサクセションは1991年から無期限活動休止状態に入り、清志郎はソロ活動に移るが、サウンド面はRC時代にはとうてい及ばなかった。サウンド面における仲井戸の貢献度が高かったということだろう。

 成型された音楽も生き方も嫌う清志郎は、とことん自分流を貫き、2009年、あの世へ行ってしまった短い。その後、ドキュメンタリー番組を見たことがあるが、虚実のない永遠の少年という感じで、さらに好感度が増した。こんなに奔放に生き抜けた日本人は、珍しい。

 

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