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逆境時の民族の力

2011.06.05

 初めて被災地を訪れた。宇都宮を発つ2日前から風邪気味だったが、熱っぽい体に鞭打ち、台風とともに北上した。

 今回の被災地巡りは2つの目的があった。ひとつは、私なりの支援策のための情報収集。そして、もうひとつは『Japanist』の記事を書くため。次号(7月25日発行予定)では、私なりの復興案を掲載する予定である。

 震災後、いろいろな記事を読み、感じたことがある。テレビや新聞のニュースは現実を正確に報道することに意味があると思うが、雑誌や書籍のほとんどは「売らんがため」か「自己満足」のいずれかだということ。だからこそ、ギリギリ実現可能な自分なりの復興案を提示することは責務であると思った。

 

 さて、今回は被災地の話ではない。逆境に遭ったときの民族の力の話だ。

 右上の写真は、ベトナム戦争時の激戦地クチにある地下塹壕の入り口である。体の小さいベトナム人がようやく入れるくらいの穴で、密林のあちこちにある。地下壕は迷路のように掘りめぐらされていて、中には医務室や作戦会議室など、さながら地下街のごとく様相を呈している。壕の長さは全長約400kmと言われ、逃走ルートはサイゴン川に通じている。このとてつもない地下壕を設計した人は、旧日本兵だというから驚きである。

 ベトナム戦争は、決着がつかずアメリカ軍が撤退する形で終わった。あれだけの圧倒的な軍事力をもってしてもアメリカは勝てなかったのだが、その理由は、あまりにもベトナム兵がしぶとかったからだ。とにかく不屈である。

 クチの森は焼き払われたり枯れ葉剤を撒かれるなど、さんざんな目に遭ったが、ベトナム人は地下壕に隠れ、やってくるアメリカ兵をかたっぱしから銃撃した。どこから現れるかわからないベトナム人のスナイパーに対する恐怖は、ティム・オブライエンの小説にたんまりでてくる。

 そんなクチを私は2度訪れた。地下壕に潜ったこともある。多い時はそこに2万人以上のベトナム人が生活し、半数が死んだという。地下壕は腐臭で、さながら地獄絵図のような状態だっただろう。それでもベトナム人は大国に屈しなかった。

 不幸なのは、たまたま共産軍に支援してもらったことから戦後、共産国家になってしまったことだ。この災いの源はフランスである。フランスは戦争がヘタなくせにちょっかいを出したがる。

 ところで、歴史教科書の件でも中国漁船衝突事件でも一貫して日本を支持しているのはベトナムだということを忘れないでいただきたい。もしかすると、将来、中国と事を構える事態になるかもしれないが、その時に頼りになるのは米軍以外ではベトナム軍だ。

(110605 第256回 写真はベトナムの激戦地クチにある地下壕の入り口)

 

 

 

 

 

Profile

高久多美男

高久 多美男

(撮影:森 日出夫)

●1959年生まれ

●1987年、広告の企画・制作を営む株式会社コンパス・ポイントを設立

●2009年、『Japanist』を編集・発行するジャパニスト株式会社を設立(2019年1月、刊行終了)

●「遊び、学び、仕事は皆同じ」がモットー。すべからく本質を求める

■本は永遠の師匠

19世紀フランス文学から20世紀アメリカ文学、さらには現代日本文学。歴史(特に日本近代史)、あらゆる生活・芸術分野から政治・経済の分野まで、本には強いな愛着を示す

■No Music, No Life

あらゆるクラシック音楽と1950年代以降のジャズ、R&B、60年代以降のロック、ワールドミュージックなど、とにかく雑食

■生涯、美を求めたい

桃山から江戸にかけての日本美術、岡倉天心一派以降の近代絵画を特に好む。ヨーロッパの近代絵画など、こちらも雑食

■敬愛する歴史上の人物

尊敬する人物は大久保利通。ほかに幕末から明治にかけて活躍した男たち。戦国武将では武田信玄、戦後の政治家では岸信介

■思索の遊び

禅、儒学、老荘思想、マキャヴェリズムを組み合わせながら、独自の思想を構築中

■いやなもの

共産主義や日教組などの極端な左翼思想(極端な右翼も嫌い)、地球市民幻想、新興宗教

■その他

日常的に走る他、毎年夏、山に登る。体型はずっと変わらず。便利なことよりも美しさに価値を見いだす

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