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紺碧の将

片っ端から何でも描いた河鍋暁斎

2021.01.18

 美術展で、完成した作品の隣にそのスケッチ画が展示されている場合がある。本画のほうが完成度が高いのは当然だが、ときどきスケッチのほうに心を惹かれることがある。なんというか、線に勢いがあり、作者のほんとうの心が表れていると感じるのだ。

 これはある意味で、当然のことかもしれない。本画はいわば〝よそ行き〟の姿であり、丹念に描くうち、本心を隠してしまうこともあるからだ。

 そのことが如実にわかる展覧会が開かれている。東京ステーションギャラリーで開催されている「河鍋暁斎の底力」展。※暁斎は「きょうさい」と読む

 東京ステーションギャラリーは、大好きなギャラリーである。東京駅直結というロケーションがいいし、旧駅舎に使われたレンガをそのまま使っているという点もいい。広さも、集中して観るにはほどよい。

 河鍋暁斎は江戸末期から明治中期まで生きた画家。とにかく目に映るものはなんでも写した。2歳のとき、早くも蛙を描きたいと思い、子供の頃は道端に落ちていた生首を持ち帰り、写生したという。常識的には、生首を持ち帰るなんて気が狂っているとしか思えないが、少年時代の河鍋暁斎にとってはただのモチーフのひとつだったのだろう。末恐ろしい。

 そんな画鬼だからこそ、下絵の迫力はすさまじいなんてものじゃない。本展ではあえて本画を展示せず、素描や下絵、席画(客を前にして即興で描くパフォーマンス)ばかりを集めた。だからこその「底力」なのだろう。

 彼の手にかかれば、動植物は言うに及ばず、人間の骨格、幽霊など、なんでも写されてしまう。まさに人間カメラのごとく。

 そんな狂人の、妖気漂う作品が一堂に会し、整然と並んでいるのを見られるのも、現代に生きる我々の特権だ。

 2月7日まで開催。

(210118 第1053回)

 

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