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紺碧の将

2020年という結節点

2020.12.31

 2020年とはなんだったのか。ずっとあとになっても、転換点として明瞭に記憶されていることだろう。

 2月くらいに始まった中国発の新型コロナウイルス禍についてはこれまで幾度も書いてきた。ひどい災厄だとは思うが、ただ嫌悪するだけではなにも始まらない。病気に罹ったのを嘆いていても仕方がないのと同じだ。なぜ病気になったのか、これから生活をどう変えればいいのかを考えることに病気の真の意義がある。コロナ禍も同じだ。いまは粛々と自分の考えにのっとってこの難局を乗り切るのみ。けっして付和雷同に走ってはならないと自らを戒めている。

 外出する機会が減ったせいか、2020年の出来事は小粒だった。とはいえ、結節点という意味ではかなり重要な年ともいえる。

 仕事の拠点だった市ヶ谷の「Chinoma」を引き払い、より身軽なスタイルで京橋に拠点を定めたことはすでに書いた。引っ越しに際して、かなりのモノを処分したが、それは今後の人生に活かすことができる。つまり、好きではないモノを身の周りに置かないということ。かといって、それは世間に流布する断捨離(本来の意味はちがうが)ではない。何十年も生きてきて、好きなものが周りにないのは、寂しい人生だと思う。

 読書の仕方も変わった。それまでは、〝勉強のために〟と思って読むこともあった。しかし、人生の残り時間をちらちらと意識するようになった今、あまり読みたくない本を無理に読むのはやめようと思った。その結果、自然に手が伸びるのは文学書や芸術書の類だった。儒学の類の書物を手に取ることはなくなった。これは前からわかりきっていたことだが、どこかに「学ばなければ」というヘンなこだわりがあったのだ。学びはもちろん大切なことだが、それに支配されると心が曇る。

 今年読んだ本は、隆慶一郎の全著書をはじめ、ベルンハルト・シュリンクの(1冊を残し)ほとんど、高樹のぶ子の再読(15冊)、年の後半になってからは村上春樹の再読と辻邦生に多くの時間を割いている。

 だれもが知っている「本能寺の変」。ほとんどの歴史書は客観的な事実としてそれを記述する。本能寺の変を題材にした小説であっても、信長や光秀など武士たちの目線で書かれていることが大半だ。せいぜい変わったところで、公家の視点を取り入れるていど。これが、京都に住む民衆の立場だったらどうだろう? 辻邦生の『嵯峨野明月記』にそれが描かれている。京の周辺に多くの武士が集まってくる。民衆はそれを見て、ざわざわし始める。噂が際限なく飛び交う。戦端が開かれる前に逃げ出さなければ命の保証はないのだから、皆真剣に情報を集める。そのうえで、しかるべき財産を庭に埋め、なにを大八車に積むか、なにを背負っていくか決めなければいけない。

 ある夜、火の手があがる。いったいだれとだれが戦っているのか。民衆はおびえながら、少しでも早く正確な情報を得ようとする。どうやら、火の手は本能寺のあたりだぞ。いったい、だれの軍勢が火をつけたのか。

 そのうち、二条城を取り囲む大軍がいると伝わる。二条城には信長の子・信忠がいるはずだ。ということは、それを囲んでいるのはだれなのだ? 情報が錯綜し、噂が噂を呼ぶ。やがて、少しずつ真実が明らかにされる。そういった民衆の立場にたった、ざわざわとしたリアリティーはフィクション以外に味わうことができない。もちろん、フィクションはあくまでも作者の創作だから、すべてが事実とは限らない。しかし、それをベースに、自分なりの観点を得ることはできる。そういうものをたくさん内面にもった人と、ただビッグデータ的な知識を増やしている人とでは、のちに大きなちがいとなって現れるのは明白だ(どちらが正しいとは言わないが)。

 昨年9月、「じぶん創造大学」なるものを創設した。5年間、自分なりに楽しく学ぶという意図で21科を定めた(その後、17科に減らす)。あるときの瞬時のひらめきに従ったのだが、これがけっこう面白い。充実している毎日がさらに楽しくなった。

 日本電産の永守重信氏が創設した京都先端科学大学の広告にこういうコピーがあった。

「大切なのは、4年後にどれだけ成長したか」

 私は常々、「他人と比べても意味がない。比べるべきは以前の自分だ」と言っているが、まさに我が意を得たりである。

 その広告のコピーは「我々の大学では、4年間を無駄にさせません」と続く。「させません」という言葉に、強い意思を感じる。大学に入ればこっちのもの。あとは遊んで楽しく過ごすだけだという大学生では困る、とあらかじめ釘を刺している。そのかわり、社会にとって有用な人材に育てあげますよ、と。

 とても本質的なメッセージだ。

「じぶん創造大学」の一環として、2020年1月から書家の斉藤翠恵氏に師事し、書を習っている。斉藤翠恵氏は『Japanist』でも取材させていただき、開放的なお人柄が私に合っている。日本の伝統芸能は素晴らしいと思うが、いっぽうで、そういう組織につきもののしがらみとは無縁でいたい。

 自分で言うのもなんだが、私は悪筆だ(個性的と言ってくれる人もいるが)。1月以降、字を書くことの楽しさを味わっている。

 著作は『FINDING VENUS』のみ。これからは電子書籍が主体になるだろう。

 電子書籍といえば、わが社で初の電子書籍を発刊することができた。サイト「Chinoma」で10年間連載している「ちからのある言葉」を編纂したものだ。

 また、低い山とはいえ、例年通り2回登山をした。本ブログは13年目にして1000回を達成した(今回は1049回目)。昨年の「老子」に替わって、松尾芭蕉の『奥の細道』50句を毎日暗唱している。残念ながらコロナの影響で旅行や出張は大幅に減った(北海道と京都へ行ったくらい)。

 総体的に小粒な成果ばかりだが、最大の収穫は、最悪と言われる状況下でも楽しくやれる人間だということがわかったこと。以前から薄々そうだと思っていたが、正真正銘そういう人間だということがわかった。

(201231 第1049回)

 

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