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紺碧の将

答えをすぐに得ようとしない

2020.11.21

 前回、「みやびの本質とは、解らないことは解らないものとして残しておく、という余裕ある態度のこと。自分が解明できないことや叶わぬことに耐えること。現代人は、解らないことがあると不安になり、何でもすぐに解ろうとする。でも、解れば解るほどにさらに解らなくなっていく」という高樹のぶ子氏の言葉を引用して雅の本質について書いた。

 毎朝、禅語を書き連ねることと芭蕉の『奥の細道』をペンで書写し、50句を暗唱することをルーティンワークとしている。

 禅語を覚え、ひたすら書いていることは拙著や本コラムでも書いている。現在、覚えているのは452語。2013年5月に禅僧で庭園デザイナーの枡野俊明氏に取材してからずっと続けているわけだから、かれこれ7年半になる。禅は不立文字といって、言葉では大切なことは伝わらないとしながら、数千もの禅語があるというのが面白い。

 一度に書くのは20前後。すべての言葉に番号がふってあり、その番号とともに記憶しているから、順番通りに書いていく。これまでに何回繰り返したことだろう。

 その際、重要なことは、いちいち意味をたしかめないこと。ただ、言葉を体の髄に塗りつけるように覚えていく。第一、「樹揺鳥散魚驚水渾(樹揺れて鳥散じ、魚驚いて水にごる)」とか「白雲抱幽石(白雲幽石を抱く)」とか「清風拂名月名月拂清風(清風明月をはらう、名月清風をはらう)」と書いていても、なんのことやらわからない。

 しかし、繰り返し繰り返し書くことによって、おぼろにわかることもある。いや、わかるというのとは違う。なんとなく、こんなことではないかという感懐が、日常のなかで感じることがあるのだ。こういう時代だから、インターネットで検索すれば、それなりの〝模範解答〟は得られるだろう。しかし、私は他人が導き出した模範解答がほしいわけではない。自分で気づきたいのだ。であれば、時間がかかるのはやむをえない。わからないまま、人生を終えることになっても一向にかまわない。

 また、約2年間、入浴中『風呂で読む西行』という本を朗読していた。声に出して読む。ただ、それだけ。何百回も何先回も読んだ。禅語よりはわかりやすいが、歌を詠んだ背景がわからないとなんのことを詠っているのかさっぱりわからないものも多い。しかし、これも意味を求めなかった。

 それらはしばらくの間、私の意識の片隅で眠っていたが、辻邦生の『西行花伝』を読んだことで、一気に輝きをもって眼前に現れた。なるほど、あの歌はこういう状況で詠んだのか、そういう背景があったのかと感動に魂が揺さぶられる思いだった。とくに、保元の乱に巻き込まれ、讃岐に配流され、苛酷な晩年をおくることになる崇徳院へ贈った、愛惜に満ちた歌は鋭利な刃物で肉を切り裂くように感情の襞に分け入ってきた。それもこれも、意味を求めず、ただひたすらに字面を心身に叩き込むというプロセスがあったからこそと思っている。

 

 松山の波の景色はかはらじを かたなく君はなりましにけり

 よしや君昔の玉のゆかとても かからん後は何にかはせむ

 

 上掲の歌など、詠まれた背景が理解できてこそ、生き生きと迫ってくる。

 と、こんなことを書いたが、世の趨勢は「より早く答えを得る」方向へ向かうのだろう。その行きつく先は考えることができない人間ばかりになり、AIに考えてもらう社会である。

 杞憂に終わってほしいが、そういう世の中になるのはもうすぐそこに来ている。

(201121 第1039回)

 

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