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紺碧の将

付和雷同を教えてくれた教師

2020.07.07

 この時代、学校の教師を務めるのはたいへんなことだと思う。とにかく生徒の親がうるさい。ちょっとしたことに口を出す。モンスターペアレンツという言葉では物足りないと思うほど常軌を逸した親が多い。こんなことを言うと、「昔と今はちがう」と言い返されそうだが、私の子供の頃は、学校の先生にイチャモンをつける親はいなかった。少々、理不尽なことがあっても、そんなことはとるにたりないことだと思っていたようだ。家に帰って教師の悪口を言おうものなら、おまえが悪いからだろうと言われた人も多いにちがいない。

 ふと、中学1年生のときの国語の先生を思い出した。クラスで女の子に対するいじめが発覚し、くだんの先生は猛烈に怒った。怒りまくって顔が真っ赤になった。それだけで収まらず、いじめられた女の子以外、全員に正座を命じた。

 そして、黒板に4つの文字を書いた。「付和雷同」と。「これが読める人は手をあげて答えなさい。いちばん最初に読めた者は椅子に座っていい」と言った。当時から本の虫だった私が読めないわけがない。というより、ほとんどの生徒は読むことはできたはずだ。しかし、だれも手をあげなかった。私もあげなかった。なんとなく卑怯な気がした。そんなことで許すという意図もわからなかった。

 チャイムが鳴るまで足の痺れをこらえながら、黒板に書かれた文字を何度も見つめた。先生は「おまえらみんな付和雷同だ」と無言のうちに言いたかったのだ。いじめたヤツはもちろん、見て見ぬふりをしていたヤツも付和雷同だと。

 そのときに抱いた感懐は、その後もずっと忘れない。弱い者いじめはカッコ悪いし卑怯な行為だ、絶対にするまいと心に誓った。

 また、その先生は口を開けば本を読めと言った。10冊読んだ人には鉛筆1本あげると、自分のポケットマネーから懸賞を出してまで読書を推奨した。

 今、そういう教師はいないだろう。意味のないお座りをさせて授業をムダにした、私費で生徒の歓心を買ったと批判されるのがオチだ。

 小学6年のときの担任もなかなかの人だった。修学旅行で鎌倉へ行く前の社会科の授業を費やして、鶴岡八幡宮で起きた源実朝暗殺のくだりを情景豊かに語ってくれた。ある雪の日、階段の下のイチョウの巨木に隠れていた公卿が、参拝を終えて降りてくる3代将軍・実朝(公卿の叔父)を刺殺するシーンだ。真っ白に降り積もった雪の上に赤い血痕が飛び散る様子が想像できた。結局、公卿はその日のうちに殺され、源氏は滅びる。それを仕組んだのが北条氏であることも説明してくれた。北条氏といえば、北条政子とその子たち。世の中、とんでもないことが起こり得るのだと教えてくれた。

 だから、修学旅行でその大イチョウを見たときはとても感動した。750年も前、人が隠れることができるほど大きかったイチョウの威容に心が震えたことをいまでも思い出すことができる。以来、私は歴史に興味を抱くことになる。

 今、そういう教師はいないだろう(そういうことを語れる教師もいないのだろうが)。

 そういえば、レントゲン検診の日、女子が検診を受けている様子を窓から眺めていた男子生徒数人が一列に並ばされ、数メートルも吹っ飛ぶほどビンタを張られたこともある。べつに覗き見したわけではないのだが、窓から眺めるだけでもいけないと(見えたのは検診車だけ)。

 え? あなたもその一員だったかだって?

 それは秘密です。ただ、失神するほど痛かったことは覚えている。

 

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(200707 第1005回 写真はジンバブエの小学校にて。本文とは関係ありません)

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