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紺碧の将

幕末の生き証人

2020.03.07

 幕末、風雲急を告げる状況にあって、当時の人たちがどのような行動を起こしたか、さまざまな書物に書かれている。

 いま、われわれは〝物語〟のひとつとしてそれらに接しているが、当人たちの恐懼は並大抵ではなかったはず。沿岸遠くにいる軍艦が大砲をぶっ放すと、陸地に届いてメチャクチャに破壊されるのだ。中国で起きた事態を知っている人は、つぎは我が国か、と恐れおののいたことだろう。

 襲来する外国船に対抗するには飛距離の長い大砲が必要だったが、それまでの日本の鋳造技術では大砲を造ることはできず、さらに外国人の技術者を招聘することもできないという状況だった。

 それでも、当時の人たちの行動は迅速にして果敢だった。伊豆韮山代官の江川英龍らがオランダの技術書などを参考に反射炉(金属融解炉)製造を研究して実用化までこぎつけ、その後、伊豆国、江戸、佐賀藩、薩摩藩、水戸藩、鳥取藩、萩藩、島原藩などで反射炉が作られることになった。その驚異的な吸収力は日本人の底力の源泉でもあろう。

 韮山反射炉は、静岡県伊豆の国市に現存する反射炉の遺跡で、山口県萩市の萩反射炉とともに貴重な遺産である。

 

 静岡へ行った際、実物を間近で見たが、思ったほど大きくない。どうしてこういう形になったのかわからないが、パッと見た目には洋風の煙突のようでもある。

 前述のようにこの反射炉は、当時の人たちが国難に対処するため、技術書だけを頼りに完成させた貴重な遺構だ。当時の日本人は、これを使って鉄を精錬し、大砲をつくった。

 その思いの強さが後の人たちを動かしたのだろう。明治41年、この反射炉を後世に残そうとした韮山村の有志によって今に至るまで遺されることになった。

 先人が受け継いできた歴史的遺構や自然財産を守り、後世につないでいくことは現代に生きるわれわれの責任である。

 

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(200307 第975回)

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