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紺碧の将

海を見下ろす隆慶一郎の墓

2020.02.24

 いろいろな本を同時に読み進めている。いまはベルンハルト・シュリンクの『帰郷者』、石原克己の『いのちの仕組み』、「和様の書」展の図録、『新古今和歌集』(上巻)、丸谷才一の『後鳥羽院』、『老子』、そして風呂タイムでは『風呂で読む西行』。そんなにいっぺんに読んで、よく頭がゴチャ混ぜにならないですね、と言われるが、もともとゴチャ混ぜだから問題ない。

 最も時間を割くのは小説だ。小説やエッセイ、詩、歌などの文芸をはじめ芸術は個人の心を扱っている。思想・宗教・哲学・経済学は総体を集約化(ビッグデータ)するため、個別の心は除外する。どちらがいいということではなく、両方必要なのだろう。近年は大学の文学部廃止など、どうしても〝効率のいい学び〟に傾きがちだが、そういう時代だからこそ、個人の心への関心が必要だと思う。

 教育界ではかなり前から「子供一人ひとりの個性を大切に」と言われているが、実際はビッグデータによる枠をはめる傾向がますます強くなっている。学校の成績を向上させるうえで効率がいいからにちがいない。

 

 昨年来、シュリンクと隆慶一郎にハマっている。シュリンクは映画にもなった世界的ベストセラー『朗読者』が有名だが、ほかに『階段を下りる女』『逃げてゆく愛』『夏の嘘』『帰郷者』と読み進め、残りは『週末』のみである。

 隆慶一郎は昨年、『吉原御免状』を読んでのけぞった。なんなんだ、この筆致は!と。居合の尖どさと薫風のごとき暖かさ、おおらかさを兼ね備えている。歴史を見る眼差しもいい。江戸時代を舞台とした作品が多いが、仕える上を持たない〝自由の民〟〝道々の輩(ともがら)〟〝苦界の者〟への共感が一貫して流れている。歴史上、名を残した人物より、そういう人たちにスポットを当てている。『一夢庵風流記』の豪快な主人公・前田慶次郎や『影武者徳川家康』の世良田次郎三郎はその典型だ。

『吉原御免状』以降、『かくれさと苦界行』『一夢庵風流記』『鬼麿斬人剣』『影武者徳川家康』(3巻)、そして絶筆『見知らぬ海へ』と読み進めてきた。残るは『死ぬことと見つけたり』(2巻)『花と火の帝』(2巻)『捨て童子・松平忠輝』(3巻)『柳生非情剣』『柳生刺客状』『隆慶一郎 短編全集』(2巻)、『駆込寺蔭始末』、そしてエッセイ集の『かぶいて候』の8タイトル。何度でも読める内容だが、早く読み終えてしまうのももったいない。複雑な心境だ。

 ところで『見知らぬ海へ』の解説を読んでいるときだった。妙なシンクロニシティがあった。

 一人目の解説は、羽生真名氏。隆慶一郎のお嬢さんである。手練れの文章に驚くとともに、隆慶一郎が東大仏文時代、バルザックにのめり込んでいたと書かれていて、なるほどと合点した。文章のタッチは異なるものの、社会の上流・底流を問わず、自由に生きている人たちへのシンパシーがあるという点ではバルザックと通底している。バルザックは壮大な「人間喜劇」において、多くの人物を複数の作品に登場させるという手法を用いたが、隆慶一郎もそれを活用している。主人公のときのAと脇役のときのAでは人物造形が異なる。一人の人間に多様な面がある。それをみごとに描写しているのだ。

 お嬢さんの文章の最後のところにこう書かれていた。

 ――ヴァレリーの詩のままに、父は今、遥かに海を望む墓地に眠っている。

 最後にヴァレリーの「海辺の墓地」を引用し、文を結んでいる。

 そうか……、隆慶一郎の墓は海を望む地にあるのか、と思った。

 次の解説者は縄田一男氏。この作品が未完で終わったこと、隆慶一郎の残したメモから、この後の展開を予想するという興味深い内容だった。

 最後、背骨に電気が走った。

 ――隆慶一郎の墓は、海を見下ろす熱海の十国峠の頂にある。

 そう書かれているのだ。

 じつは、その数日後、私は静岡へ行く予定があった。これは、墓参してくれという隆慶一郎のメッセージと勝手に受け止め、熱海からレンタカーを借りて十国峠へ行った。

 まさに絶景だった。熱海の海が一望にできる。青い風と強い海風、隆慶一郎の魂はその地でいまも生きていたのだ。

「死せる孔明生ける仲達を走らす」ではないが、私も亡き隆慶一郎に走らされたようだ。

 

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