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紺碧の将

片腕を喪失したスギの話

2018.10.14

 今年は例年にまして強烈な台風が到来している。メディアで「観測史上最大級」などと煽られると、「また多くの犠牲者が出てしまうのでは?」と嫌な予感にとらわれる。メディアは注意を促す意味でオーバーな表現を使っているのだろうが……。手術の前に最悪の事態を念押しする医師のように。

 

 生まれてからずっと関東に住んでいるからか、台風に対する脅威をリアルに感じた記憶がない。台風の被害は「ニュースで知るもの」であり、自分が味わうものではなかった。せいぜい電車が不通になって困ったというていどだ。今年の台風も「すごい風だった」で済んでしまった。

 ところが、愛着のある樹の枝が無残な姿になったのを見て、やはり台風の威力は凄まじいのだなと痛感させられた。新宿御苑のスギ(写真上)。いつも両の腕を大きく広げ、「ようこそ」と言ってくれた樹である。なぜか顔はない。首の下に縦の亀裂が走っていて、それが口のようでもある。このスギを見るたび、笑みがこぼれた。

 ところが、先の台風によって左腕が折れてしまった。損傷は体の一部にも及んでいる。痛々しくて見ていられない。これも自然の摂理なのだろうが、このスギは片腕を失って、これからどう生きるのだろう。

 ふと、川端康成の短編「片腕」を思い出した。若い娘が「片腕をひと晩貸してもいいわ」と言い、付け根のところから片腕をはずして貸してくれる。他者の体の一部が自分の体にくっついているというのはどういう感じなのだろう? いとしい人から臓器を提供された人はどういう気持ちなのだろうと想像が思わぬ方向へ。

 人も樹も、当たり前のように存在していたものがなくなると、なんともいえない喪失感を覚える。やがて自分もそういう喪失感を周囲に与えるのだろうかと考えることがある。

 

「美し人」

美の生活化―美しいものを人生のパートナーに

 

※悩めるニンゲンたちに、名ネコ・うーにゃん先生が禅の手ほどきをする「うーにゃん先生流マインドフルネス」連載中。 第29話は「いいことは時間をかけないと広がらない」。

https://qiwacocoro.xsrv.jp/archives/category/%E9%80%A3%E8%BC%89/zengo

(181014 第849回)

 

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