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紺碧の将

入手困難な日本のウイスキーが意味するもの

2017.11.25

 ウイスキーが好きな人は気づいているだろう。酒販店の棚に、日本のウイスキーメーカーの主要銘柄がなくなっていることに。

 あるのは安酒ばかり。1,000円〜2,000円のもの。しかし、「山崎」や「白州」や「竹鶴」など、サントリーやニッカの代名詞ともいえる銘柄の姿はほとんど見なくなった。せいぜい「知多」を見かけるていどである。

 詳しい人に聞くと、世界のウイスキーコンテストで抜群の評価を得ている日本のウイスキーは世界中のファンの垂涎の的であり、まとめ買いのターゲットになっているらしい。特に中国の富裕層は高額で大量に買い付けているという。

 それ自体は喜ばしいことである。日本人の仕事が評価されているのだから。

 しかし、本元の日本人がそういう銘柄を入手できなくなったことは、めでたしめでたしでは済まされない。

 私は日本酒党だが、週に一回くらいの割合で体がウイスキーを欲する。そういう時、安く造った酒は飲まない。翌朝、体に残るからだ。朝走る習慣があるため、酒が残っていると如実に体が重いと感じる。

 といって、超高級酒を飲みたいというのではない。せいぜい、「山崎」や「竹鶴」など、それなりの商品だ。しかし、そういうものを求めに行っても、商品棚にないというのは哀しいものがある。

 もしかすると、この現象は、あることの予兆かもしれない。つまり、日本で作ったもの(特に食料)を日本人が入手できなくなる時代が到来するということ。今はコメ余りだが、そのうち、古古米じゃないと買えない日がくるかもしれない。そりゃ、作り手だって、高い価格でたくさん買ってくれる人に売りたいと思うだろうから。

 いつまでも安さばかりを求めていると、やがて売ってもらえなくなる日がくる。そうならないよう、自分で価値を認めたものには、正当な対価を払うことだ。

 

※悩めるニンゲンたちに、名ネコ・うーにゃん先生が禅の手ほどきをする「うーにゃん先生流マインドフルネス」、連載中。

https://qiwacocoro.xsrv.jp/archives/category/%E9%80%A3%E8%BC%89/zengo

(171125 第769回 写真はニッカの「余市」と「宮城峡」。たまたまあるスーパーで見つけた)

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