生き物と暮らすということ
今から7年前ほど、交誼のある盆栽家・森前誠二氏の経営する「銀座雨竹庵」でケヤキの盆栽を買った。以来、生活をともにしている。
高さは17センチほどだが、ゆうに30歳を超えている。小ぶりで凜とした樹冠が私の目を射止めたのである。
名前を「左馬之助」とした。「ヒダリウマノスケ」ではなく「サマノスケ」である。勇ましい名前だろう?
今年は今まででいちばんの紅葉だった。10月、寒い日が続いたためであろうか。おかげで毎日、リビングで紅葉狩りができる。贅沢なものだ。
若い頃は、盆栽など年寄りの慰みものだと思っていた。しかし、今はそうは思わない。なんというか、うーにゃんと同様、家族なのである。人間の家族はそうそう増やせないが(現に子供は一人だけであった)、植物ならまだまだ増やせる。
時に声をかけたり、幹を撫でたり……。
夜、ベランダから部屋に入れる盆栽は他にイチョウ、ミツデイワガサ、イヌビワの3つ。左馬之助以外、名前はついていない。
たしかに生き物の面倒をみるのは大変だ。御年18歳のうーにゃんはクリニックと切っても切れない関係になってしまったし、そのつど費用もかかる。盆栽も水やりなど、絶えず注意をはらう必要がある。
それらをムダなものと見る人もいるだろう。そうなのだ。生き物と暮らすということはムダばかりなのだ。子供はその典型かもしれない。
しかし、だからこそ他では得がたい感動がある。
さて、左馬之助は、そう思う私をどう思っているのだろう?
(171117 第767回 写真上の背景はエッセイ集『多樂スパイラル』の表紙に使われた、宮坂健氏の『方舟の漂着』)