アメリカと日本は自国第一主義
先日、フランス大統領選挙に関するニュース番組を見ていて、意外なことに気づいた。ルペン候補を支持している人の発言だった。その人はこう言ったのだ。
「アメリカも日本も自国第一主義でしょう? だったらフランスも自国第一にすべきよ」
それを聞いて、はじめは違和感があった。自国第一主義は、トランプがそう声高に唱えているアメリカであって、日本はそれを戒めている側ではないかと。
しかし、外国人から見ると、日本も同じなのだ。ただ、トランプのように激しく主張していないだけで、本質は自国第一である。
つまり、どういうことかといえば、紛争や難民など世界で起きているさまざまな問題にはできる限り関わらないという姿勢を貫いている国、それが日本のイメージなのである。自国の安全保障でさえ、他国に委ねているような国だ。憲法を楯に、紛争に関わろうとしないが、そんな事情(平和憲法があること)など、外国人は知らない人の方が多い。仮に知っても、「そんなの、自分たちで変えればいいんじゃない?」となるだろう。
スーダンに派遣されていた自衛隊のPKO部隊も任務を終えて帰ってきたが、その後、どうするのかはわからない。
このことに限らず、現代の日本人に共通する考え方は、「少しでも自分に災厄が降りかかりそうなことは、できる限り拒絶する」ということ。生活の隅々にもそういう考え方が蔓延している。「テロを準備している人を処罰できる法律をつくろう」というのに、「自由に発言できる市民の動きを制限する」と言って反対する。問題のすり替えも甚だしいが、つまるところ、利己主義、自分第一主義なのだ。これが国家レベルになれば、自国第一主義である。
それにしても、世界は混迷を深めている。難民問題など、その最たるものだろう。これが正解! というものはない。
私は個人的な意見として、イギリスのEU離脱に共感できるし、トランプやルペンが唱えていることにも正当性があると思っている。いっぽう、メルケルが行っていることは、どこかで破綻するのではないかと思っている。数年で110万人の移民を受け容れるなんて、あまりに無謀だ。将来に大きな禍根を残すにちがいない。もはやドイツではなくなってしまうだろう。合成の誤謬だ。
合成の誤謬とは、ひとつひとつの行いは正しいが、それらが合わさった場合、悪いものになってしまうというようなことをいう。例えば、無駄遣いをしない、倹約をするという行為は美徳とされる。しかし、それをみんなが行えば、消費は滞り、最終的には失業者が増えることになる。
それと同じで、可哀想な難民を数多く受け入れたいという人道的な考え方はわからなくもないが、だからといって分際を越えた人道支援は必ずなんらかの災厄を生む。そういうことはこれまでにも実証されている。特に、移民二世、三世はその国に居住する権利は既得権益としてみなすいっぽう、差別に対し反感をもち、やがて憎しみへと変える。
日本は四方を海に囲まれているからか、日本語という見えない壁があるからか、はたまた独特の文明をもった国であるためか、移民が押し寄せてくるということはなかった。しかし、これからはわからない。朝鮮半島有事、中国の経済減速にともなって、なにが起こるかわからない。
いざというとき、どういう対処をするのか。いずれ、われわれが問われる時がくる。
(170428 第717回)