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小布施の街づくり

2008.09.24

 前回に続き、小布施ネタを。

 噂には聞いていた。小布施の街づくりは凄い、と。高橋克法町長もそうおっしゃっていた。

 木下豊さん(前回の項参照)に案内していただいて、小布施の街を歩いてみて、なるほどと合点した。ちょっと素敵すぎます。街づくりのお手本だというのもけっしてオーバーではない。

「小布施には資源がほとんどないので、あるものを最大限に生かしている」とは木下さんの弁。それってどこかで聞いたことがあると思ったら、高橋町長の唱える「ないものねだりから、あるもの探しへ」に通ずる発想である。全国どの自治体にも必ず何らかの「宝」はある。それを見ようとせず、東京ばかりを手本にしているから、全国いたるところにミニ東京(しかもまがいものの)が乱造されてしまった。そのことにいち早く気づいて、街づくりに取り組んだ小布施の人たちはエライ!。

 葛飾北斎が小布施と関わりがあったという事実を見逃さず「北斎館」を作り、桜の日本画家・中島千波が幼少の頃、小布施に住んでいたという事実を知るや、美術館を作ってしまう。

「小布施は2km四方の小さな町で人口は約12,000人。そこに年間約100万人が訪れます」と木下さん。心なしか、語り口調も誇らしげだ。

 訪れたい人の気持ちはじゅうぶんにわかった。だって、歩いて愉しいもの。街並みを見て良し、買い物しても良し、食べても良し(小布施は栗が名物)、泊まっても良し……。ケバケバしい看板もなく、奇抜な店もファストフードもコンビニも自販機も、その界隈にはない。路面がふつうと違うなと思いきや、栗の木を輪切りにして敷きつめている。ハイヒールの人は歩きにくいかもしれないが、平底の靴には心地よい。見た目にも風情がある。

「ヒールの底がひっかかって転んだらどうするのよ!」と、なんでも他人のせいにしたがる人もいないのだろう。

 聞けば、街づくりのきっかけを作ったのは、桝一市村酒造場本店の社長だとか。小布施堂も酒蔵も菓子工場も桝一客殿という宿もレストランもすべて古くからある建物を活かし、デザインが調和されている。お見事という他ない。

 やっぱり一人の旦那(=道楽者)の力は絶大だな、と認識を新たにした。みんなこじんまりと平均的にまとまってしまうのは、とてもつまらないことである。江戸時代の日本は藩の間で自由に行き来ができなかったので、その分、地域の多様性が保たれたが、今や情報がなだれをうち、他と違うことは異端視される世の中になってしまい、なかなか独自性を打ち出すことが難しくなっている。

 もう一度、多様性と地域の独自性を復活させなければ、観光立国ニッポン構想も露と消えるにちがいない。

(080924 第68回 写真は小布施の「栗の小径」 )

 

 

Profile

高久多美男

高久 多美男

(撮影:森 日出夫)

●1959年生まれ

●1987年、広告の企画・制作を営む株式会社コンパス・ポイントを設立

●2009年、『Japanist』を編集・発行するジャパニスト株式会社を設立(2019年1月、刊行終了)

●「遊び、学び、仕事は皆同じ」がモットー。すべからく本質を求める

■本は永遠の師匠

19世紀フランス文学から20世紀アメリカ文学、さらには現代日本文学。歴史(特に日本近代史)、あらゆる生活・芸術分野から政治・経済の分野まで、本には強いな愛着を示す

■No Music, No Life

あらゆるクラシック音楽と1950年代以降のジャズ、R&B、60年代以降のロック、ワールドミュージックなど、とにかく雑食

■生涯、美を求めたい

桃山から江戸にかけての日本美術、岡倉天心一派以降の近代絵画を特に好む。ヨーロッパの近代絵画など、こちらも雑食

■敬愛する歴史上の人物

尊敬する人物は大久保利通。ほかに幕末から明治にかけて活躍した男たち。戦国武将では武田信玄、戦後の政治家では岸信介

■思索の遊び

禅、儒学、老荘思想、マキャヴェリズムを組み合わせながら、独自の思想を構築中

■いやなもの

共産主義や日教組などの極端な左翼思想(極端な右翼も嫌い)、地球市民幻想、新興宗教

■その他

日常的に走る他、毎年夏、山に登る。体型はずっと変わらず。便利なことよりも美しさに価値を見いだす

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