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紺碧の将

目を閉じ、耳を塞いでしまったら……

2015.12.13

山田&近藤 多樂塾 今回で600回目。どういう人たちが読んでくれているのかわからないが、初対面で名刺交換する時、相手が私のことを熟知していることがときどきある。「ブログを拝見しておりまして……」などと言われると、嬉しいやら恥ずかしいやら、よくわからなくなることがある。自分だけ一方的に情報公開することはいいことなのだろうか。(ま、よしとしよう)

 先月、多樂塾に山田宏氏と近藤隆雄氏をゲストとして招いた。山田氏の志と実行力、そして構想力のド迫力はいつもの通りなのであえて触れないが、近藤氏の見識に唸ってしまったので、今回はその話題を。
 近藤氏は『Japanist』で安倍総理への提言を連載しており、もともと世界を股に掛け、ビジネス畑で活躍してきた方だ。
 私は、2つの点において感心しきりだった。
 ひとつは、先に可決された安保法制について問われ、「責任ある国家とは、侵略しないということを明言すると同時に、侵略させない備えをしていることだ」と言ったこと。つまり、備えもせずに「戦争反対」と唱えることは責任ある国家のすることではない、と。
 もうひとつは、自身の体験だった。
 若い時分、近藤氏は外資系の企業(コカ・コーラ社)に入った。なにを思ったのか(なんとなく推測はつくが)、禅寺に参禅していたという。そこは臨済宗の寺だったのだろう、公案をさずけられた。公案とは、ある問いをさずけられ、それに対して答えることだ。公案は数百種類もあるが、有名なものでは「犬にも仏性があるか」。ほとんどは、どのように答えても鈴を鳴らされる(退場を意味する)。答えの正否よりも、ものごとの本質について、その人がどこまで頭ではなく本性で理解しているかを問う場である。
 近藤氏は禅の修行によって、「人間衆生 本来無一物」であることを学んだという。つまり、人間は誰しも裸で生まれ、何も持たずにあの世へ還っていく、と。
 そう悟ったら、怖いものがなくなったという。
 その頃、コカ・コーラの売り上げが落ち始め、ターゲットをそれまでの若者から熟年層にまで広げようと社の方針が変わったという。
 近藤氏は異を唱えた。通常、アメリカの企業は完全なピラミッド型のトップダウン。トップが決めたことの重みは日本の比ではない。しかし、近藤氏はその方針は間違っていると直言したという。なにしろ、本来無一物であることを知ってしまったのだから、怖いものはない。
 その時のトップの反応に私は感銘を受けた。「もっと話を聞かせてほしい」と近藤氏に言ってきたのだそうだ。
 日本の大企業ではあまり聞かないエピソードだろう。おそらく、トップに異論を唱えた時点で、左遷させられるか村八分にされて、その人の出世コースは閉じられるだろう。ところが、近藤氏はバドワイザー・ジャパンの社長に抜擢されることになる。
 その話を聞いて、戦争中の日米両国の対応を思い出した。日本は「鬼畜米英」と叫び、外国語をはじめ米英の文化を「敵性」としてシャットアウトした。アメリカは日本の文化を熟知した専門家でチームを編成し、日本人の精神性などを研究した。当然のことながら、作戦をたて、遂行するうえで、その民族性は色濃く現れるはずだから、日本を知る必要があったのである。
 われわれは歴史から学ばなければならない。本質的な異論にも耳を傾けなければ、待っているのは破綻であると。
(151213 第600回 写真は11月の多樂塾の風景。正面、立っている人が近藤氏)

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