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紺碧の将

引き算の総合芸術─水石

2015.02.15

朱大和と大観 のっぴきならない世界を垣間見てしまった。それが正直な感想だ。

 水石(すいせき)。
 『Japanist』でご紹介した盆栽作家・森前誠二氏のお誘いで、東京都美術館で開催されている「水石展」を見た。それまで盆栽の付属物程度の認識しかなかったが、とんでもない世界だということがわかった。
 自然界にあった石を拾ってきて飾る、身も蓋もなく言ってしまえば、そういうことになる。
 しかし、さにあらず。まず、自然がつくった造詣の妙、そして、それをなにかに見立てて長年愛でたという経歴、それらを自分なりに解釈して生活空間に飾るセンス……。まさに総合芸術なのだ。
 総合芸術といえば、映画やオペラ、茶の湯などがあげられるが、水石は造形美、自然との融合、禅、銘、掛け軸などとの組み合わせの妙など、じつに多彩な要素を足した後、これでもかというほど引き算をして残ったギリギリの形なのだ。例えば、石を残雪のある山に見立てれば、その季節の花や鳥が春を告げている掛け軸を組み合わせる。究極の美を求める人が最後にたどり着く世界とも言われているが、よくわかる。
「じゃあ、そのへんの河原で、形のおもしろいものを探してきて、それを飾ればいいんじゃない?」というのは、いかにも無粋である。きちんとした審美眼のある人が長い間愛でたという来歴がなければ価値はないのだ。もちろん、人間が少しでも手を加えたら、ただの石っころである。
 三井の創始者である益田鈍翁が細川家所有の水石を所望したが、「五十万石の細川家が三井の番頭風情になぜ譲れねばならん」と一蹴されたというエピソードもある。なんと、そのとき提示された金額は、現在の貨幣価値で200億円を超えたという。
荒磯 それにしても、森前さんの深い教養とシャープな感性、豊富な知識には舌を巻いた。明らかに、現代の数寄者だ。小堀遠州、与謝野蕪村、円山応挙、富岡鉄斎、松永耳庵、西郷孤月、岡倉天心、村上華岳など、どのアプローチからでも立て板に水のごときに本質を語る。禅の「白雲抱幽石」と言えば、間髪おかず、その意を汲んで作品の解説をしてくれる。いったい何者? という感じ。
 そういえば、森前さんは、昨年完成させた『The Essence of Japan』を11冊も購入してくれた方でもある。ものの善し悪しを見抜き、いいとなれば「エイヤーッ」とばかりどん欲に求める。偶然、私と同い年だが、こういう方がまだ日本にはいたんだ。
 モノは要らない、いい時間がほしい、と常々思っているが、久しぶりに「買いたい病」に罹ってしまった。
 さて、金策、どうしよう。困った困った……。
(150215 第544回 写真上は佐渡赤玉石『朱大和』と横山大観の掛け軸『日の出』、下は伊予石『荒磯』)

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