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幸せはどこにある?(4)

2025.12.01

 金を追いすぎてはいけないし、金に追われるのは論外。金という亡者といっしょに走ってはいけない。「世の中、金じゃない」と言う人も「金で買えないものはない」と嘯く人も断じて間違っている。金は大切なものであり、それなくして正常な生活は営めない。にもかかわらず、金の価値を認めようとしないのは、いつしか金からしっぺ返しを食う。一方、金はけっして万能ではないし、たくさん持っているからといって必ずしも幸せにはなれるとは限らない。そのことは前回の本コラムで書いた通りである。

 とはいえ、人間は思考力が肥大した生き物でもあるため、金のことを考えるなと言われても考えてしまう生き物だ。事実、身の周りに溢れる情報の多くは、煎じ詰めれば「これを買ってほしい」に帰結し、選挙の争点になるのは「だれに得な分配をするか」(=だれに損な分配をするか」。制度設計は、人間の金への執着なくしてなりたたない。ひとつの法律によって、人々の行動はいとも簡単に変わってしまう。それほど、人間は「得なこと」に惹かれるのである。

 要は、金とはそういうものだということを認識し、〝魔物〟といかにつきあっていくかを考え、距離感をつかむことではないか。

 

 事業を始めて数年経った頃、頭のなかにはびこる金のこと(不安や取らぬ狸の皮算用など)を減らしたいと思い、あれこれ考えた。結論は、なるべく金のことを考えないような状況をつくることと、自分の心持ちを整え、金のことを必要以上に考えないようにするということだった。そのため、大金を追わないことも肝に銘じた。大金を追えば、どうしてもそのことに意識が集中してしまう。それに、自分という人間は大金を扱えるほどの器量はない。もっと違うところで力を発揮したいと思った。

 そのとき抱いたイメージは、「空気」だった。空気を吸えなくなれば命は5分と持たない。しかし、それほど重要なものなのに、われわれは空気を意識して生きていない。吸えることが当たり前なのだから。

 それと同じように、意識せずとも小金が滞りなく入ってきて、出ていく。そういう循環が続く仕組みをつくろうと思った。

 そのためには、本質的な仕事をなりわいにしている、まっとうな会社の信用を得ること、そして堅実な仕事をするスタッフを揃えること。それからはずれたものは、細心の注意をもって吟味し、その主旨からはずれるものには飛びつかない。バブルの勃興期、銀行が融資とセットでいくつもの不動産の案件を持ってきたが、火傷をせずに済んだのは、そういう決意があったからでもある。

 いずれにしても、金とどういうつき合い方をするか、それがきわめて大切であり、その後の人生の幸福度に影響することは明らかだ。

(251201 第1299回)

 

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