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紺碧の将

機械に使われるニンゲンども

2012.09.06

 

 体のわりに脳が異常に発達し、さらに二足歩行を覚えたニンゲンは、さまざまなモノを発明してきた。その結果が現代社会である。

 作るわ作るわ、よくもこんなモノまで、と呆れるくらい多くのモノを作ってきた。もちろん、そのほとんどは「経済行為の一環として」である。

 それによって、われわれニンゲンは、豊かな暮らしを享受することができている。まさにニンゲンの脳ミソ万歳! である。

 と言いたいところだが、どうも最近、合点がゆかないことが多い。

 「もしかすると、われわれニンゲンは自分たちで作った機械に使われているのではないか?」そう思うことが多々あるのだ。

 例えば、怒濤のようにニンゲンが流れていく駅構内の階段に立ち止まり、携帯電話に夢中になっているニンゲンがときどきいる。まさしく機械に操られている、愚かなニンゲンの図。

 「コイツはみんなの迷惑も顧みないで、とんでもないヤツだ。どけ!」と言いたいところだが、もちろんそんなことは言わない。

 電車に乗ると、多くのニンゲンが携帯やスマホに見入り、なかには長時間モバゲーなるものに熱中している光景が目に映る。どう見ても、精神の病に冒されている。

 「どいつもこいつもバカじゃないの」と言いたいところだが、もちろんそんなことは言わない。

 いちおう私もフェイスブックに登録しているが、時々、「この人はお知り合いではありませんか?」とか「今月、あなたのお友だちが誕生日です。お祝いしてあげましょう」などというメッセージが届く。

 「いいかげんにしてくれ。機械のおまえに言われる筋合いじゃないよ」と言いたいところだが、もちろんそんなことは言わない。

 そんなことが日常茶飯事。気がつけば、われわれニンゲンは、機械に煩わされないと不安になってしまうという、奇妙な状態になってしまった。

 もちろん、機械のすべてがダメと言っているわけではない。私だってパソコンがなかったら仕事にならないという環境に身を置いている。愛車にはナビもついている。こうしてブログで自分の書きたいことを書き、ネットで配信している。フェイスブックの情報拡散能力も素晴らしいと思う。文明の利器は、うまく使うことによって、生活が豊かになるということは身にしみてわかっている。第一、山の中の原始的な暮らしなんて自分にはとうていできないということは自分がいちばん知っている。

 しかし、機械に使われてしまうとなったら話は別だ。現代人の多くは、機械に「心」や「魂」を奪われている。

 前回の増田明美さんの回答にもあったが、こうなってしまったのも「独りを楽しむ能力」が著しく衰退してしまった結果だろう。

 私は人といっしょでも独りでも、どちらも愉しい。

 30歳の頃につくった「コンパス・ポイント30ヶ条」のなかに、次のような文がある。

——流行に左右されない。流言にまどわされない自分の生き方をもっている。——

 そういう生き方をしたいと切に願った。

 あれから20数年がたち、かなりそういう生き方ができているという自負と充足感がある。

 そういう風になりたいと願ったから……。

(120906 第366回 写真は、30歳の頃に熱読していたヘミングウェイ全集)

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