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紺碧の将

白と黒のグラデーション

2011.12.11

 神社や寺へ行くと、御朱印帳に記帳してもらう。以前、このブログでも書いたことがあるが、京都の龍安寺で年輩の女性が御朱印帳にすらすらと筆入れしている光景を見て惚れ惚れし、以来、その習慣が身についた。

 日本全国、記帳代の相場は300円だが、なぜか明治神宮は500円だ。その200円の差が何に由来するのか、わからない。200円といえば、ネコの缶詰や塩大福も買えるほどの額である。

 どうしてこんなみみっちい話をしているかというと、昨年、仙丈ヶ岳に登る前、カズオさんに虎の子の塩大福を取り上げられた時の悔しさが甦ってきたからだ。食べ物の恨みはコワイというが、ほんとうにそうなのだということを明治神宮に行って実感するというのも情けない話である。

 

 ところで、明治神宮はわかりやすい。明治天皇と昭憲皇太后という近世の天皇・皇后両陛下を祀ってあるということが、とてもわかりやすい。しかも、徳川幕府が倒れた後、西欧列強の侵略を防ぎながら殖産興業を推し進め、日清・日露の両戦争を勝ち抜いた激動の時代の精神的リーダーということで、その功績はいかにもわかりやすい。日本の神社は、なにやら姿形や性格など、いったいどんなカミサマが祀られているのかさっぱりわからないところが多いが(だからこそ、日本人の透徹した精神性が育まれたのだろう)、明治天皇も昭憲皇太后も、どんなご容貌だったか、明白にわかる。だから、わかりやすい。

 ところで、明治神宮へ行ったら、ぜひとも手にしてほしいものがある。無償で配っている蛇腹折りの冊子で、片面は教育勅語、一方の面は五箇条の御誓文と明治天皇御製・昭憲皇太后御歌の一日一首(31日分)が掲載されているものだ。御製と御歌は当時、未曾有の国難に直面して国民を鼓舞するため、あるいは慰撫するためにおつくりになられた歌だが、変な格言が書かれている日めくりカレンダーよりよっぽど内容が濃い。

 

 右上の2本の楠は「夫婦楠」(めおとくす)と呼ばれ、大正9年に献木され、縁結び、夫婦円満、家内安全の象徴となっていると立て札に書かれている。楠木正成以来、皇統と楠の関係は深いが、私は楠木正成=善、足利尊氏=悪という見方は好きではない。白か黒か、極端に分けたがるのは日本人の悪い癖だ。薩長=正義、会津=抵抗勢力という見方も同様だ。人には善と悪がかならず同居しているし、天下の情勢によって善と悪はめまぐるしく入れ替わっている。それを見落とすと、すぐに原理主義に陥る。白か黒かを決めたがる潔癖症は、原理主義を生みやすい。東洋と西洋の良さがわかり、人や組織や国家には善も悪も混在していると認識することから相互理解は始まるのではないか。

 私は論語も老子もマキャヴェリズムも納得できる。それを不思議ととる人はたくさんいるかもしれないが、元来人間は多面的なのだ。なんらおかしいことはない。

(111211 第302回 写真は明治神宮の鵜の楠)

 

 

 

 

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